彼の仕事部屋の窓から入る光は、ブラインドを通過して帯のように見える。

デスクを整理していた手元に当たる明るい光をみとめて、その入り口である窓を見遣る。

いい天気で良かった。

今日は、クラウドと子供たちと四人で外出だ。

天気がいいとはいえもう秋口だから、上着を持って行かなくては。

伝票をまとめて、ペーパーウェイトで押さえてから、出かける仕度をするためにオフィスを出る。

グラスランドエリアには、山と呼ぶには小ぶりな丘が連なる丘陵が伸びている。

車で通れる道を選びながら、なだらかな丘陵を進んでいった。

海抜150メートルくらいの丘の上で私たちは車を停めた。

目の前に広がるのは花の海。

ずっと遠くまで見渡すと、花の海と空がぶつかる地平線が見えた。

中心の黄色から放射状に広がる花びらは、白やピンクや紫、確認できないものも含めてもっとあるかもしれない。

「どうやって見つけたの?」

シートベルトを外しながら訊ねると、

「空の上から。」

と彼は微笑みながら答えた。

先週仕事でロケット村を訪ねた帰りは、飛空挺での空路だったらしい。

乗り物酔いを避けるために、風に当たりに出たデッキの上から見つけた景色だと説明してくれた。

「ほんとにきれい...」

車を降りるなり子供たちは歓声をあげながら一面の花畑に駆け出した。

こんな小さな呟きが聞こえるはずもないくらい、もうずいぶん遠くまで行ってしまった。

「本当は空から見せたかったんだけどな。」

車の外で快い風を受けながら彼が言う。

「こんなに近くで見れるんだから、もう充分。」

煽られる髪を押さえながら、すぐ横に立つ彼に視線を向ける。

「来れて良かったな。見せなきゃもったいないから。」

彼がまた微笑む。

「あんなに遠くに行っちゃった。」

もうどちらがデンゼルでどちらがマリンか判別できないくらい、離れてしまった影を見て言う。

丘に吹く風は優しいけれど、ときどき気まぐれに強く吹く。

あんまり強く吹かないで、と思う。

花びらが散ってしまいそうだから。

「どこにも行かないよ。」

今日の彼はどこまでも穏やかだ。

「うん…」

「行ったって捕まえるさ。」

さっきから変わらない微笑を浮かべたままで、彼は言う。

「だから、大丈夫だ。」

「……」

クラウドが何の話をしているのか、だんだんわからなくなってきた。

一歩前に進んでから彼は続ける。

「前に言ったろ?」

「ん?」

「ティファと一緒だからな。」

あの時は、ライフストリームの光の中だった。

私はただただ不安で、非日常的な光景の中で過去も現在も未来も見出せずにいた。

クラウドは、それまでに見せたことのない穏やかさで微笑っていた。

彼の目は未来を見ていた。私が向き合えないでいた未来を。

私と一緒なら大丈夫、と言ってくれた言葉も、あの光の中の私にはやはりふわふわとして現実味がなかった。

今は、風の中にいる。

私たちの足は大地を踏んでいて、風を受けながら立っている。

全部が緑色に見えたあの時と違って、今は目の前に広がる花たちも、遠くに見える二つの小さな影も、一歩ぶんだけ前に立つ彼の髪も、それぞれの色を主張している。

「ティファと一緒だからな。」

そう言った彼が振り返ったのはほんの一瞬で、横顔しか見えなかった。

だけど一瞬だけ合った目の優しさだけは、あの時と同じ。

今の私たちは、同じ方向を向いている。

目の奥がきゅっと締め付けられたように痛んだかと思うと、抑えきれずに涙が溢れた。

どうしても伝えたい言葉がある時に限って、言葉は出てきてはくれない。

胸いっぱいに膨らんだ想いが行き場を求めているのに、それ自身が出口を塞いでしまっているかのように、言葉にして逃がすことが出来ない。

今流れている涙は、胸の中で飽和状態になった気持ちの仮の姿だろうか。

そうだとしたら、気の済むまでそうさせていようと思う。

彼はまだ向こうを見ている。

返事をしない私を不信に思って振り向く前に、背中に抱きついた。

嗚咽が漏れないように唇を強く結んで、彼の匂いのする背中に頬を強く押し付ける。

「ティファ?」

彼の声が振動となって、背中に押し付けた耳へ直接届く。

なんでもない、と言おうと思ったけれど、涙声になるのが嫌で押し留めた。

代わりに軽く首を振る。

今振り返られたら、泣いているのがばれてしまう。

きっと彼は心配して、切れ長の目を見開いて私の顔を覗きこむだろう。

だいじょうぶ。悲しいんじゃないから。

シャツの背中に染み込んでいく涙は、私の想いそのもの。

そのまま彼の肌に浸透して、その先にある心まで届けばいいのに。

それっきり、彼は何も言わなかった。

腕に彼の手が添えられる。

風が一瞬強く吹いた。

ガラスでできたペーパーウェイトを思い出した。
 

涙の熱のせいでぼうっとしてきた頭で、今朝の光景を反芻する。

見た目の繊細さとは裏腹に、ずっしりとした重みがあるそれは、光に当てるとやはり繊細に輝く。

それをもらって来た日は、マリンは夢中になって光にかざしてうっとりと眺めていた。

それも最初だけで、今となってはペーパーウェイト本来の役割を果たす意外に出番はなくなってしまっていた。

今朝の私も気にもとめなかった。

私は彼を押さえようとしているのだろうか。

いつか、あの泉のほとりで彼が私にそうしてくれたように。

あるいは、自分が飛ばされないように。

何かに掴まっていないと心許なくて、誰かに触れていることで自分の存在を確かめているみたいだ。

彼も私も、どこにも行かないってわかっているのに、どうして不安になるんだろう。

こんなに優しい風なのに、どうしてこんなに揺さぶるんだろう。

母親にしがみつく小さい子供みたいだと、今の自分を想像して思う。

うんと小さかった頃、恐い夢を見た夜は、母親のベッドに潜り込んで縋りついて泣いた。

今日の私はいろんなことを思い出すらしい。

胸にまわした私の腕に触れる彼の指に少しだけ力がこもった。

その感触は優しくて、だけど確かな重みがあった。

彼を押さえているつもりが、やっぱり押さえられているらしい。

温かさと重さを感じながら、しばらくそうして泣いていた。





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