彩り





世界が崩れてからずっと、昼間の時間は短い。わずかに残った世界の色彩を、覆い尽くしてしまう夜の闇がもう間もなく迫ってくるだろう。

ロックが飛空艇を降りてから、もう数時間が経つ。仲間達は暗黙の了解で、彼に付き添うことはせず村の外れに停泊させた飛空艇で各々の時間を過ごしている。

セリスも例外なく、デッキに出て村の方をずっと眺めていた。生き残ったわずかな人影すらまばらで、ほとんどの民家の窓の鎧戸は閉じられている。村というひとつの生き物が、翳っていく陽に引っ張られるように、早々と眠りにつく準備を始めているように見える。以前はどこにでもあるような素朴な村だったはずのその景色を包む濃密な気配に誘われるように、セリスは気が付くとタラップを降りていた。

頭はどこかに置いてきてしまったみたいに空っぽのまま、何かに急かされるように足だけが勝手に動いているみたいに、ただ真っ直ぐに歩いた。茶色い地面を踏む自分の足音だけを、かろうじてセリスの耳は拾っていた。

レイチェルの眠る民家の前に着くと、歩いただけなのに息が少し上がっていた。頭の感覚が少しずつ戻ってくると同時に、今度は身体の力が抜けていくのをセリスは感じた。身体を支えようと壁に背を預けた瞬間、扉が開いた。

ロックはセリスの姿をみとめると驚いた様子もなく、少し笑って言った。

「話せたよ」

その短い言葉に何と返したらいいのか、セリスにはわからなかった。ただ続きを乞うように、真っ直ぐにロックを見つめる。

全て承知しているように、仰ぎ見ながらロックが言う。

「空に帰った」

セリスは目を見開く。その言葉通りにとっていいものか、だとしたら何を言えばいいのかわからず、黙っていた。逡巡、ではなく、頭の中の歯車が急停止したようだった。

「なあ、ちょっと歩こうぜ」

ロックは言うと、飛空艇とは逆の方向に歩き始めた。気持ちの整理がつかないまま、セリスはその背中を追う。

家々の間の小径を抜け、なだらかな傾斜をしばらく進み、小高くなった村のはずれの開けた草地で、ロックは足を止めた。

「お前、一年寝てたんだって?」

再会してから言葉を交わすのは初めてではなかったが、セリスは何故かこの時初めて、やっとロックの声をきちんと聞いたような気がした。

「うん…」

懐かしい声に胸を締め付けられながら、セリスは応える。あんなに会いたかったのに、いざこうして目の前にすると、何を話していいのかわからない。

「これ」

ロックは手に持っていたものを、セリスに差し出す。先ほどから、沈黙を破るのはいつもロックだった。彼女自身は気付いていなかったが、そのことはセリスの奥底を安堵させていた。

「お前が持ってて」

橙色に輝く半透明のその石をしばらく見つめた後、ロックを見上げて、やっとセリスは口を開く。

「大事なものでしょ?」

「だからやるんだよ」

迷いのない言葉でロックが言う。

少し躊躇いながらセリスは手を伸ばしてそれを受け取ると、両手で包む。まるで生きてるみたいな重さと温かさを感じた。

見上げると、ロックが柔らかく微笑んでいる。この人のこんなに穏やかな表情は初めて見る、とセリスは思う。笑っている時でさえ、いつも日陰のような暗さが見え隠れしていた。もっとも、彼の秘密を知ってから、自分がそう感じるようになっただけかもしれない。でもそれがなくなっていた。

「フェニックスって、不死鳥だろ」

微笑を浮かべたまま、ロックが続ける。

「お前みたいだよな。何回死にそうな目に遭っても、絶対帰ってくるもんな」

彼の頭に巻かれている濃紺のバンダナが初めて見るものであることに、セリスは気付く。そしてふと思い出す。

「私も渡すものがあるの」

セリスは片手でポケットから青いバンダナを取り出すと、それを見せた。

ロックはバンダナとセリスの顔を交互に見遣って、目をぱちぱちと瞬かせた。

自分よりずっと年上のこの男が時々見せる子供みたいなこんな表情は久し振りで、懐かしいとセリスは思う。

「なんで…、これ……」

間違えるはずのない、自分のバンダナだった。同じものは二つ持っていない、いつか怪我をした鳥に巻いてやったバンダナだった。

「私の大事なものだから、あげる」

促すように、半ば強制するように、バンダナをロックの胸の辺りに掲げる。

繋がらないままの思考で、ほとんど無意識にロックはそれを受け取る。

「私、死んでもいいって二回思ったの」

戸惑いを隠さないロックから目を逸らしながら、セリスが静かに言う。

柔らかいけど肌寒い風が、ところどころが禿げ上がった草地に残った緑と、セリスの髪を揺らす。

一度目は、帝国を裏切った時。二度目は、目覚めた島で博士が亡くなった時。二度目のことを、ロックはまだ知らない。これから話せばいい、自分たちにはまた明日があるから、とセリスは思う。

「二回ともあなたに救われた」

だから、何があっても生きていくの。

逸らした目線を戻して、セリスはロックを見つめる。

ロックにはその眼差しが、怖いくらいに青いと思っていたその目が、今日はやけに澄んで煌めいて見えた。壊れる前の世界の、明るい空のようだった。風に弄ばれる長い金髪が、黄金色の豊穣な麦の穂の海を思い出させた。

ああ、大丈夫。世界は、絶対に蘇る。

そうロックは思った。そして照れたように破顔した。

ロックは一歩近付いてセリスの頭をぐしゃぐしゃと掻くと、驚く彼女をそのままきつく、加減をするのも忘れるくらい強く抱き締めた。

生きててくれて良かったとか、待たせてごめんとか、言いたいことは沢山あった。けれど、どんな言葉をもってしても、いたずらな風のようにロックの中を渦巻いている昂揚としたこの感情を、うまく表せそうになかった。ただ今は、何とも言えないこの思いに苛まれているのも幸せだと思った。

すぐそこにあったのに、見ない振りをしてきた宝。その衝動を逸らすように、がむしゃらに追い求めて辿り着いた、本当にあるとも知れなかった蘇りの秘宝。生かされていたのは、自分の方なのだ。レイチェルはもうずっと、知っていたのかもしれない。魂になってずっと俺を見ていたのかもしれない、とロックは思った。

フェニックスの石を握ったまま、セリスはロックの背中に手を伸ばした。肩越しに、いつの間にか姿を現していた夕焼けが見えた。燃える炎のような鮮やかさが眩しくて、一瞬前が見えなくなった。それから、目から熱いものが溢れてきて、そのうち何も見えなくなった。







エンディングとつじつまが合わなくなりますが、妄想ということでご容赦ください〜(2011/10/05)



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