Vanity Fair


2.



 自分に視線を送ってくる女たちの傾向について、セッツァーはよく理解している。

 先ほどのようなパーティーによくいるような、社交界で金持ちの亭主を見つけようとしている女たちは寄っては来ない。来るのは、同じような場によくいるが、別の属性の女たち。旦那に無碍にされてる妻たちや、あるいは家庭のある相手と関係のある女たちだ。既に築いた生活を手放す覚悟はないけれど、自分の中にある底なし沼のような隙間を埋めたくてやってくる。宝石を買って虚栄心を慰めるような心境なんだろう。彼は金はとらないけれど。 

 けれども女というのはきっかけはそうでも関わりを続けていると情が湧いてくるらしく、次第に始めの動機とは違う感情で彼を見るようになってくる者も中に入る。言葉は悪いがそうなると厄介なのだ。

 彼とて彼女たちに愛情を感じない訳ではない。ただ、彼女らが求める密度と質量の愛情はやれないだけだ。だから利害が一致せず、親の敵のように罵られることもしばしばあった。

 かくして、マリアのようなタイプは珍しい。

 独身で若くて魅力的だから結婚相手には困らないだろうが、社交界の結婚志望者と違うのは、彼女は今やオペラの看板女優で、実力もあるから男に頼らずとも華やかな暮らしはできているはずだ。

 言い寄る男は数多いるだろうから、火遊びがしたいのなら相手にも不自由してはいないだろうが、そこは有名人なのであまりやんちゃも出来ないところだろうか。その点では彼は、厳密にはこのジドールの社会の舞台に属していないので、都合がいったところだろうか。

 あるいは、彼女も何か満ち足りない心の隙間を感じているのだろうか。

 部屋の──彼の逗留している宿の部屋の──窓から夜の街を見下ろす、手入れの行き届いた後姿を見ながら思う。

 新種の蝶を見つけたような、珍しいもの見たさの好奇心も彼にはあったから、せっかくだから捕まえてみようという気になった。

 そして彼女に近付くと、慣れた手つきで腰に手を回した。近付くと、形の良い耳が視界に入り、香水の花の香りに包み込まれるようだった。

 彼女は徐に顔を上げると、

「そういうつもりないの」

 踊るように優雅に身を翻して、その手をかわす。

「は?」

 思わずセッツァーは声をこぼす。

「ただお喋りしに来ただけなの。だめ?」

 セッツァーは手持ち無沙汰になった手のやり場を思案しながら訊く。

「男の部屋についてきて、そうなる予想はしなかったのか?」

「したけど、あなたは無理矢理なことはしないかなと思って」

 褒められているのかいないのか、セッツァーは妙な心境になる。確かに嫌がる女に無理強いする趣味はないが、かといって紳士的とかいう言葉は気恥ずかしくて性に合わない。

「ほんとに面白い奴だな」 

 そう言って胸の煙草に手を伸ばす。彼は特段怒りも恥ずかしさも感じていなかった。

「煙草、やめてくれる?喉に悪いのよ」

 悪びれもなく彼女は言う。人の部屋に来ておいて注文の多い女だな、とセッツァーは思ったが、大人しく煙草を箱に戻す。

「で、俺と何のお喋りがしたいのかな」

 窓の手摺にもたれかかりながら訊く。

「例えば、どこで生まれたとか」

「覚えてないな」

「じゃあ、お父さんとお母さんはどんな人」

「覚えてないな」

「なんにも覚えてないのね」

 マリアはふっと笑う。

「じゃあ、その銀髪は本物?」

「覚えてる限り、本物だ」 

 ふーんと呟くと、マリアは自分のアップされた髪に手を添え言う。

「私、これ地毛じゃないの」

「へえ」

 見事に染まっているので、本物だと思っていた。

「目も偽物か?」

 宝石のように鮮やかな緑に目を向けながらセッツァーは訊く。

「どうかな」

 彼女は微笑みながら肩を竦める。そして窓辺から離れ、ドレスの裾が揺れる音を響かせながら部屋の中ほどのソファーに腰掛ける。

「で、あんたは?」

「どこで生まれて、お父さんとお母さんはどんな人?」

 セッツァーは頷き、促す。

「生まれたのはジドールから北の小さい町。地殻変動で今は前より近くなったかな。母親はジドールでオペラを志したけど、大成せずに踊り子止まり。そして小さい町の商人に恋をして、さっさと自分の夢には見切りをつけた人。その商人が私の父親。二人は今でもむつまじく暮らしていますとさ」

 あまり興味ないといった調子で説明する。それからテーブルの上の花瓶に白い指を伸ばし、挿された水仙の花びらをそっと弾く。

「私ね、歌の実力だけでプリマになれたわけじゃないって知ってるの」

 独り言のように彼女は呟く。

「母親のいいところだけは受け継いだみたいで、容姿には恵まれて生まれたから、それも手伝ってるのね」

 謙虚なんだか傲慢なんだかわからないこと言う、とセッツァーはふと笑う。

 確かに新聞や雑誌では、賞賛と同様に彼女の歌唱や表現を辛く評価したものも少なくない。

「でも別に構わない。何であれ掴んだチャンスなんだから、利用するまでよ」

 そういう考え方は嫌いじゃない、とセッツァーは思う。しかしこの女は、たいして親しくもない人間に身の上相談でもしたかったのだろうか、と訝る。

「でね、話の続きなんだけど」

 言いながらマリアは立ち上がる。

「攫われてみてもいいって、本当に思ったのよ」 

 どの話の続きかと思えば、とセッツァーは肩を竦める。女っていうのは本当に話題をころころ変えてくる。

「私論だけど、表現には技巧と冒険心が必要だと思うのね。折り目正しいオペラなんて見ててつまらないし。で、せっかくだからそういう冒険の体験をするのに、願ってもないチャンスだと思ったの」

 言いながら、ゆっくりと部屋を歩くそのさまは、舞台の上を動いているようだ。

「あの演目も、ありがちなロマンスで、待ってるだけのお姫様で、退屈な役だったし」

 なるほどと思いながら、セッツァーはあの日衣装に身を包んだセリスの姿を思い浮かべるように、窓の外を見た。

「じゃあ、煙草だって冒険だろ。試しに吸ってみれば見えてくる世界があるかもしれないぞ」

「説得力が、あるようで、ないわね」

「毒味のまったくない人生も味気ないだろ。適度に摂取するのがいいんだよ」

 自分の摂取量が適度かどうかは棚にあげつつ、セッツァーは言った。それから窓を開けると、夜の街の音が部屋に漂うのもそのままに、煙草に火をつけた。







 ジドールの街のちょうど中心には広場がある。その広場の中心には噴水が、そしてその水の中心にはセイレーンの像が佇んでいる。数年前の大崩壊でこの街も多くを失ない、この広場もその一つであったが、既に再建され、銅像もまだ新しい艶を放っている。街を見渡せば、そこかしこに建築や修復の最中の建物が目に入る。

 そんな風景に象徴されるように、ジドールの表情は、以前とは違う様相を見せつつあった。ジドールと言えば以前は貴族や上流階級のみが暮らす排他的な街で、あぶれたものは街を離れ別の集落を築き、それらが町になっていった。その底辺とも言えるのがゾゾであった。しかし世紀の大崩壊を境にして、もといた階層の住人たちは残しつつも、外から流れてきた者たちを受け入れ、膨らみ、成長し、今や世界でも屈指の大都市に変貌しつつある。

 そんな賑やかな街の中心では、毎週土曜と日曜の二日間、市が催される。

 野菜や果物、チーズやパン、肉や魚の加工品、歩きながら食べられる飲み物や軽食、煙草などの嗜好品、古本、衣類、アンティークの調度品など、一日中歩き回っても退屈しない種類と量の店が、噴水をを取り囲むように軒を連ねる。噴水の傍らには四、五人から成る楽隊が軽快な音楽を奏でている。雨の日を除けばこの街の老若男女が週末はこぞってこの市に集まるので、歩くのも困るほどの賑わいだ。

 穏やかに晴れた土曜の午後、ロックと二人、人の波に埋もれそうになりながら歩いていたところで、ひと際色鮮やかな生花の売り場でセリスは足を止める。

 ロックは色とりどりの花に目を輝かせ、店員と言葉を交わすセリスを傍らで見守る。時々鼻を寄せ匂いを吸い込んでは、顔を綻ばせる彼女がなんとも可愛い、とロックの表情が少々だらしなく緩む。

「どれが欲しい?買ってやるよ」

 後から覗き込むように声をかけると、セリスは子どものように顔を輝かせる。

「綺麗なお姉さんにはおまけしようと思ったけど、連れがいるのかあ」

 店員の若い男は、セリスよりも年若いだろうか。残念な声を出すが、顔は微笑っている。

「お生憎様」

 とロックは微笑み返す。その表情は優越感を隠さない。

 しばし悩んだのち、セリスは黄色の薔薇を選んだ。赤や白も好きだが、鮮やかで可愛らしい黄色が春の陽気のようだと思って決めた。

 「ありがとう」

 そう言って自分を見る彼女は、花なんかよりよっぽど綺麗だと、ロックの心臓は律儀に高鳴る。

 自分はつくづくこの女にぞっこんらしい、とロックは最近改めて思っている。

 一緒にいる時間を重ねるごとに、かつて共に旅をしていた仲間たちも知らないだろう彼女の一面や表情を新しく発見していくのが嬉しいと思う。一緒にいるほど、愛しい気持ちが募る。

 彼女の外見の美しさに惹かれてないと言えば嘘になる。否定するつもりはないし、内面と外見をひっくるめて一人の人間だ。彼女の中身も外身も含めて、自分は本当に彼女に惚れ込んでいるのだ。そして彼女もまた、言葉にすることは少ないけれど、自分を見つめる視線の温度や、触れてくる手の柔らかさで、自分への愛情を伝えてくるのを、彼は自惚れでなく知っている。自分が愛情を注げば、彼女は返してくれるし、また自分に戻ってさらに育っていくような感覚を、草木が育つのを見守るような温かい気持ちで感じている。

 ここに至るまでの道のりでいろいろとあった二人だが、今こうして穏やかに街を歩いて、花を選び、一緒のベッドで眠る。

 自分は幸せだ。そうロックはしみじみと思う。



 セリスがアンティークの雑貨を見ている間、ロックは数軒先の武器の売り場を見に行くと彼女に声をかけていった。

 見たいものが見終わったあと、セリスはロックの姿を捜して人の流れを歩いた。

 言葉通り、ロックは五軒ほど先の武器の売り場で、身体を屈めて陳列されたナイフやダガーを吟味していた。

 人ごみの中でも、彼の鮮やかなバンダナはすぐに視界に飛び込んでくる。それは記号のようにセリスの視覚に彼の存在を伝えてくる。

 彼の横顔は正面から見るより少し大人っぽく見えることにセリスは気付いていた。だけど真剣な表情がなぜか少年のように可愛らしく、セリスは微笑ましく思いながら、そちらに歩みを進めた。

「レイチェル!」

 知らない誰かの声の呼びかけに、セリスは自分の名前はレイチェルではないのに反応し、顔を上げた。

 あたりを見れば、ロックのいるところの隣の売り場の、売り子の中年くらいの女性のところへ、子鹿みたいに大きな目をした栗色の髪の女の子が駆けてくる。呼んだのは母親だろうか、二人はいくつか言葉を交わすと、女の子はまたどこかへ去って行った。

 セリスは白昼夢でも見るように、その後姿をぼんやりと見つめる。

 レイチェル、なんてよくある名前だ。セリスは胸の中でぽつりと思う。

 昨日の宴の夜にも、ロックと別れ手洗いに行ったとき、そこに居合わせた三、四人の女性のうちの一人が、その名前で呼ばれたのを耳にした。そして、今と同じような、胸の中を冷たい風が通り抜けるような、ざわついた感覚をおぼえたのだ。

 ロックの、かつての恋人。

 気にする必要はないのに、気にしてしまう自分がセリスは嫌だった。だけど仕方ない。時とともにこの薄暗い感情もおさまり、平気でいられる時が来るだろう。今はその時を待つしかない。願わくは、できるだけ穏やかな気持ちで。セリスはそう自分に言い聞かせ、ため息をひとつ吐く。

 顔を上げ、ロックのほうを見る。

 そして、その途端に、見なければ良かったと思う。

 夕焼けに目を細めるような表情。眉は少し悲し気に寄せられている。セリスが先程見ていたのと同じ方向を見ながら、その表情が語るのは、慕情、回顧。

 セリスは息が苦しくなる。手に持った花の匂いにむせそうだ。

 ロックはまた顔を前に戻した。セリスははっとする。

 もしロックがこちらを振り返ったとき、彼の視線の先に気付いていたことを気付かれてはいけない。本能的にそう感じ、とっさに人ごみのほうに目を逸らした。

 つい今しがたの小さな誓いを揺るがすように、胸の中を穏やかでない風が吹く。









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全体の構成とそれぞれの回はだいたいもうイメージが固まってるんですけど、この回が一番できてなかった部分なので、これ以降はさくさくっと更新できたらいいな〜(希望!)(20140727)


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