Summer's in the Air







 この年、初めて夏らしい夏を感じる日だった。

 今日バイクで走ってきたどの場所で眺めても空に雲はなく、無遠慮なまでに陽が照っていた。砂埃がいつも以上に乾いて多く舞っていた。

 普段通り学校に行って普段通り外で遊んだらしい子供たちも、さすがに暑さに疲れたとみえて、寝苦しさを感じる余地もなくいつもより早く眠ってしまった。

 昼からの気温は夜になっても影を潜めず、夜でもエアコンが必要なくらいだ。低めの温度のシャワーを済ませ、髪を乾かし終えた時にはもう新しい汗がじわりと首のあたりに滲んでいた。

 Tシャツの首元をつまんで気休め程度に扇いでいると、そのうちティファが部屋に入ってきた。

「飲まない?」

 彼女は器用に片手に持っていた栓を抜いたビールのボトルを掲げ、空いた手でドアを後ろ手に閉めた。

ありがとう、と言って俺は一本を受け取る。ティファはベッドの俺の横に腰掛ける。それから俺たちは呼吸を合わせたように同時に瓶に口をつけて、一口呷った。

「これだけ暑いとうんざりするけど、その分美味しく感じるね」

「そうだな」

二口目を飲み終えたところで、瓶の口の感触にふと、と思い出す。

「そういえば」

 ティファは軽く首を傾げて俺を見る。

「ティファ、こういうの昔はストローで飲んでなかったか?」

 一瞬考えるような表情をした後、ああ、とティファは目線を天井のあたりに漂わせて、言った。

「パパがね、女の子なんだから直接飲むんじゃないって」

 俺たちが二人で飲む時といえば下の店で、ということが多いから、グラスに移し替えてから飲むのが普通だったが、こういうビールなんかは二人ともボトルから直接、ということがほとんどだ。

「何かにつけて『女の子なんだから』ばっかりで、あの頃はうるさかったなぁ」

 俺としては、彼女のそれを行儀が悪いなどとは無論思っていなく、むしろその気取りのない感じが好きなくらいだ。

「好きで女の子に生まれたわけじゃないって言ったら、黙っちゃったけど」

 ティファが笑ったので、俺もつられて微笑んだ。

「格闘技習うって言い出した時だって、最初は反対してたの。護身術は必要だって説き伏せたら、しぶしぶ許してくれけど」

 そう言い終えた横顔に少しだけ寂しげな影がさした。何を思っているだろうかは、わかる。何と声をかけようか、かけるべきか逡巡していると、そのうちティファは微笑んでまた瓶に口をつけたので、俺もなんとなくそうした。

 確かに所謂『女の子らしい』とは違うのかもしれないが、ティファの立ち振る舞いの優雅さは──それは生活の中のちょっとした動作にも見て取れるが──おそらく格闘で培った姿勢や身のこなしからくる部分が大きいに違いない。

 例えば、納品に来た業者と話しながら、腰に片手をあてて相槌をうっている時、肩を引いて背筋が伸びた立ち姿だとか。あるいは、店仕舞いを終えて、腕を背中の後に回して手を組み、筋を伸ばして体をほぐす時だとか。

「でもよく覚えてたね。ストローで飲んでたことなんて」

 また一口飲み終えて口を離すと、ティファが言った。

「ああ」

 あれはいつのことだったっけ、と考える。

 そして思い当たるのは、今日みたいな暑い日の朝。十六の時。村を出て二年、初めてニブルヘイムを訪れた翌朝のことだ。







 暑くて、朝寝苦しさに目が覚めた。カーテン越しの光に目を細めながら腕で額を覆うと、空気の湿度だか自分の汗だかわからない湿り気を感じて思わず眉間に皺が寄る。

 気休めにシーツを蹴って足元に押しやったが変わるはずもなく、悪態とともにため息をひとつ吐いた。

 窓を開ければ少しマシかもしれない、そう考えてベッドを抜けて、カーテンを開けた時だった。

 一階の俺の部屋の窓は、ちょうど隣のティファの家の横側、台所の勝手口の扉に面している。勝手口は三段くらいの石段に繋がって、その先が芝生になっている。

 ティファの家の周りを囲う庭の芝生のスプリンクラーは、いつも六時半にセットされていた。俺が村を出た時から変わっていないのかな、と考えて、今の時間を推測する。おそらく芝生は刈り取ったばかりだろう、昨日足早に前を通ったとき、懐かしい青臭さがしたのを覚えている。

 ティファは、家の正面の方から歩いてきて、勝手口の前の石段に座った。スカートの裾が風を含んでふわりと揺れると、彼女の膝の少し上で止まった。 右手には新聞を持っている。ポストから取ってそのまま来たのだろう。 左手には、緑のガラスのボトルを持っていて、それにはストローが挿してあった。 ラベルまでは見えなかったが、よくある銘柄のソーダだろうと思った。

 ニブルヘイムの夏は、さほど厳しくないから、エアコンがある家なんてそうないはずだ。

 今年はらしくない暑さなのだと、夕べ母さんが言っていた。多分ティファも、涼を取るために外に出たのかもしれない。

 ティファは石段に腰掛けると、履いていたサンダルを無造作に脱いだ。新聞を広げて、ストローから一口啜ると、まず一面を読み始めた。

 時々左右の方向や上下の角度を変えるスプリンクラーと同じように、ティファも目線と首を時々動かしていた。飛沫越しに見るその姿は、家の中にいるのに土埃が舞ってむせかえるような、そんな暑さを忘れさせて、俺はその瞬間自分がどこにいるのかわからない気分になった。

 ティファは瓶を横に置くと、今度は新聞を広げた。そうしながら、脚を伸ばして足首をクロスさせた。よくある赤と白のストライプが斜めに走ったストローが揺れた。

 時々何かリズムでも刻むように、交差させた上にある足をとんとん動かした。その度に白い足の甲がそこに映す光の濃淡を変えた。

 着ている白地にオレンジと青の大きな花柄のゆったりとしたワンピースは、寝間着にしている服だろうか。髪もろくろく梳かしていないみたいだったが、そんなことはどうでもいい。

 まるでそのためだけに空から降ってきたように、朝の太陽の光がティファの膝からふくらはぎにかけて骨をなぞるようにまっすぐに照らした。

 空なんか見るのは忘れてたけれど、紙切れほどの雲もない青い日なんだろうとわかった。

 それから彼女は新聞を開いて、視線を上下左右に動かした。興味のある記事でも探しているんだろうか。いつのまに新聞を読む習慣ができたんだろう。

 会わないほんの二年の間に、ティファは一気に大人びたようだった。

 こんな何もない山奥の田舎で、でもそんなことはお構いなしというように成長していた彼女を見て、自分はミッドガルに行ったから何が変わると期待してたんだろう、と妙に虚しい気持ちになった。時間はひとしく過ぎたはずなのに。

 長く伸びた脚。肩から出た、同じように無遠慮なまでに伸びた細い腕。読んでいるうちに顔にかかった髪を、少し鬱陶しそうな表情で耳にかけた。

 またストローを口にした。ソーダが下っていく喉の動きに目を奪われてしまう。

服の細い肩ひもの下を通って横に走る鎖骨に陰影がさしている。その下にどうしても目が行ってしまう。

 ティファはボトルをもう一度置くと、片手を目の上に翳して目を細めた。 整った顔に陰が落ちて、違う表情を見せる予感がした時に、ふいにその目線を上げた。

 俺は慌てて窓から離れて、逃げるようにベッドに潜り込んだ。とてももう一度眠れる気はしなかったけど。

 開けたままのカーテンから部屋に射す太陽が、目を瞑っていても眩しかった。







「クラウド」 

 ティファの呼びかけに我に返る。 

「ごめん、思い出してた」

 彼女にこの話をしようかどうしようか、考えたら少し可笑しくなって、俺は誤魔化すために瓶から一口飲んだ。

 かつては遠くから見るだけだった彼女がこうして自分のすぐそばにいることに、未だに不思議な感覚を覚える時がある。それもたまにはいいのかもしれない。当たり前と思う傲慢さは互いにとって毒になることを、俺はもう学んだのだから。

「教えてくれないの?」

 ティファは眉を顰めて、咎めるような拗ねたような表情をした。それがあの頃の彼女が目の前に蘇ったような錯覚を俺に見せた。

 あの夏、あれから起こったことは言うまでもない。それでも思い出すのは、あの朝の、どこか無防備なティファの姿と、それを焦がれる思いで見ていた自分の姿だ。

 大人になって、失ったもの、大切な絆も増えていったけれど、俺の中にはいつまでもあの頃の気持ちが残っていて、その周りにはニブルヘイムのティファがいるのだ。

 彼女もまた、これまでの人生で多くのものを失ったけれど、強く美しくなって、内側から照らすような眩しさは増すばかりだ。それでもいつまでもあの頃のティファが色褪せることなくその奥底にあるのだ。

「そのうちな」

 俺は飲みかけのビールを床に置いた。

 その動きを見ていたティファに顔を近付けて、食い下がってくるつもりだっただろう唇を塞いだ。

 自分の腕の中で喉を撫でられた猫みたいに力が抜けて、背中を支えてやらないと倒れそうになる彼女が愛しくて、堪らない気持ちになることを、伝えたことはない。

 この気持ちは不思議なことだけれど、彼女に手に届かなかったあの頃に抱いていた気持ちにもどこか似ている。

 もっと要求するように唇を押し付ければ、肩を掴んでくる手とは裏腹に彼女の唇が緩んで開く。

 快楽に紛れて自我と無の狭間で彼女が俺の名前を口にする時ほど、大袈裟かもしれないが、満たされた気分になる瞬間はない。いつもは上手く隠しているつもりの支配欲が、夏の日差しに乾いた芝生が水を得るように充ち足りる。こんなあまり口には出せない思いを抱かせるのは、一生彼女だけなのだ。普段は全然、ティファには適わないのだから、それくらい思う程度は大目に見てくれ。

 顔を離して彼女を顔を見れば、痩せた訳ではないのに、あの頃にはあった頬のあたりの膨らみがいつのまにかなくなっていることに気付いた。いつからなんだろう、ミッドガルで会った時か、もっと後か、考えても思い出せない。

「俺はティファが女の子で良かったよ」

 その頬が微かに上気していた。暑い夏の日に飲むものも、いつの間にか変わった。酒に酔わないのは知っている。シャワーの湯の熱もとっくに冷めている。

 ティファの手から汗をかいたボトルを取ってベッドサイドのテーブルに置いた。埋めた首筋から漂う彼女の香りを夏の夜の空気の中に嗅ぎながら、その横のライトを消した。











主に書きたかったのはクラウドのフラッシュバックの部分です。今ヴァージンスーサイズを読み返していて、それに触発されて、なんか思春期男子が女子を見るフェティッシュな視線、みたいのを書きたくなったのです。この本大好きで、夏になると読みたくなります。

クラウドはティファのことこっそりガン見してたはずってことで(笑) ニブルへイムの事件が夏だったのかわからないんですがその辺は大目に見てください。

(2016/07/17)



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