Spirits




 はしゃいでいた子供たちの声が聞こえなくなってしばらく経ってから、バレットは一階に下りてきた。閉店したカウンターの端の席にその大きな体を落ち着ける。以前は寂寞とした思いに攫われそうだった閉店後の静けさも、今は労働の終わりの充足感を私に与えてくれる。

 クラウドからは、雷雨をやり過ごすのに足止めを食って、少し遅くなるが今夜中には帰宅すると連絡があった。エッジでも夕方まで降っていた雨は上がり、きんと冷えた、だけど心地よい温度の静かな夜が街を包んでいる。クラウドの分の夕食の支度を済ませ、私は今夜のお酒の用意をしていた。

 バレットから「明日そっちに行く」と昨日電話があった時、すぐに察しがついた。私も同じことを考えていたから。

 バレットは子供たちへの贈り物をクラウドに預けたり、電話はこまめにしてくるけれど、エッジを訪れることは滅多にない。マリンと離れ難くなるからだと思う。この人にとって、誇張ではなく最愛の娘と離れること自体が、彼が自分に課している罰の一つなのではないか、と秘かに感じている。

 二脚のワイングラスをカウンターに並べ、赤ワインを注ぐ。

「デンゼルのお父さんとお母さんの分」

 私の手元をじっと見つめていたバレットの無言の質問に答える。

 デンゼルが両親の話をすることはあまりない。だけどいつもワインで晩酌をしていた、と前にぽつりと言ったことがあった。

 三つのグラスに、三人が好きだったお酒を用意した。弱いくせにお酒が好きだったジェシーにはアップルティーニ、料理の味がわからなくなるからとお酒はいつも一杯だけだったウェッジにはジンライム、普段は冷静なのに酔うと途端に陽気になったビッグスには塩とライムを添えてテキーラのショット。

 バレットの隣に腰掛け、最後に自分たちのグラスにお酒を注ぐ。氷の間を滑り落ちていく飴色の液体を眺めていると、不思議と心が落ち着く。電力供給はもう安定しているけれど、今日は少し明かりを控えめにしている。キャンドルを一つ灯してカウンターにそっと置く。私はあまり飲みたい気分ではなかったけれど、形だけグラスを持つ。

 日付が変わるまであと三十分ほどある。間に合ってよかった。



「あいつらは恨み言なんか言う奴らじゃねえよな」

 しばらく無言で座っていた後、独り言みたいにバレットが言った。

 彼の本心ではないかもしれない。私を慰めるために言っているだけかもしれない。この人は私以上に、自身の業を深く重く受け止めているはずだから。

 ───恨み言なんか言わない。おめでた過ぎる考えかもしれない、だけど本当にそうだとも思った。だからこそやりきれない気持ちがした。どうして彼らだったのか。朗らかで、真っ直ぐで、何も持たなかった私の仲間であり家族になってくれた人たち。

 掴んだままのグラスに触れる指先の感覚が鈍くなっていたけれど、あまり気にならない。キャンドルの炎は優しくて、指先の冷たさを忘れさせた。

 私はちゃんと生きれているだろうか。彼らの分まで、なんて思うのは傲慢かもしれない。だけど、私が一生を終えて彼らと出会うことが叶うとしたら、その時恥ずかしくないと思える生き方が出来ているだろうか。今まで何度も繰り返してきた疑問。答えはそれこそ、一生出ないかもしれない。覚悟はしているつもりだった。

「お前はよくやってる」

 氷の鳴る音が、バレットの呟きの後に聞こえた。

 気持ちを読まれたのだろうか、と考えるまでに少し時間がかかった。言葉の連なりが何かひとまとまりの姿になって右から左の耳に抜けていき、一瞬私の頬を撫でてからまた頭に入ったような感覚がして、咄嗟に理解できなかったからだ。

 それからだんだん目の奥に熱いものが溜まっていくのを感じ、私はカウンターに肘をつきながら両手で顔を覆った。肩が震えるのを止められないけど、声は出さずに吐息だけの嗚咽を漏らす。

 バレットの手が頭に触れた。きっとこの左手には、失ってしまった右手の分まで優しさが詰まっているのだ。だけど多くの人がそれを知らずに、その風貌で彼を恐れる。それが無性に悔しかった。そう思うとますます涙が出た。

「あいつが帰ってくる前に泣き止めよ。俺が恨まれるからな」

 顔を覆ったまま何度も頷く。愛しい人の顔が浮かぶ。

 避けようと思っていたセブンスヘブンという名前。マリンにとっても家族だった、彼らのいた場所。最初からやり直すきっかけを与えてくれたバレット。背中を押してくれたクラウド。

 今強く生きている人たち。去って行ってしまった人たち。私が奪ってしまった人たち。

 いつからだろう、こんな風に泣くようになったのは。泣くことで赦されるわけじゃない。だけど、それでもまた明日から生きていくために、涙が必要な日もあるのだ。自分の中の氷の塊が重くなりすぎると立つこともできなくなるから、融かして涙として流すのだ。 

 流れるものがなくなるまでの間、ずっとあの大きな手が添えられていた。









7のキャラはみんな好きです。

(2011/09/27)



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