あなたじゃない誰か





 賭けをしていた。何が勝ちで何が負けなのか、自分でもわからない賭けを。

 さっき、勝負はついた。もう時間切れ。

 私の理性は、賭けの結果に従って答えを出した。私の感情が明日からちゃんとそれについてきてくれるのかは、まだわからない。

 手のひらの中に、光に透けた淡いブルーの色が揺れる。空を飛ぶ船の上、いつもより近くにある太陽の光を通して、布地の向こうに自分の肌の色が見えそうだ。感じるはずのない彼の体温が伝わってくるような気がする。あの薄暗い地下室で、初めて触れた体温が。

 あの時、甘んじて刑を受けていたら、帝国という狭い世界だけを知りながら、私は死んだんだろう。世界の崩壊と再生を見ることも、その戦いに身を投じることも、仲間に出会うこともなしに。他でもない、彼に出会うことがなかったら。

 彼が見つけてくれなかったら、私は今ここにいない。それだけで、なんて奇跡なんだろう。

「探すのか」

 いつの間にか隣に来ていたセッツァーが、胸のポケットを探りながら言う。

 私は首を横に振る。

 見ると、セッツァーは構われて迷惑そうな猫みたいな、怪訝な目をしていた。

「嘘だと思ってるんでしょ」

「どうだろうな」

 言いながら、手で風を除けて器用に煙草に火を灯す。

「探さない」

 私はもう一度首を振る。

「生きてるから。それだけで十分」

 セッツァーは退屈そうに、無表情で煙草をくわえている。その煙草を指で外すと、

「健気なことで」

 可愛げのないことを言う。でも、悪気はないことは分かってる。

 この人のことも、少しは分かってきた。

 この人も、してたのかな。大切な誰かと、あるいは自分との賭け。

「それなら、どうすんだ」

 言いながら吐いた煙と同じ方向に、夜空に光る雲みたいな銀色の髪が揺れている。

「どうしようかな」

 濁して応える。

 みんなそれぞれ帰るべきところへ帰っていく。やるべきことをやりに行く。

 これから、どこへだって行ける。何だってできる。

 眼下には緑の大地、青い川の流れ。もう少し先には、海。

 目の前の世界は広い。人の心は深くて、時に暗い。入り組んだ森に迷い込んでしまったら、簡単には出られない。空も見えない、風も通らない感情の迷路。

 見上げる先には雲が流れている。肌に感じる風は柔らかい。上空の風はもっと強いんだろうか。白が青に散っていく。

「セッツァーが飛空艇が好きなの、わかる気がする」

 僅かにこちらに顔を向けたセッツァーの口許が、ほんの少しだけ緩んだ。

 ここなら、世界を臨めるから。

 広い世界で、きっと出会えるんだろう。

 あなたじゃない誰か。

 だけどきっと、あなたみたいな誰かを、私は求めてしまうんだろう。あなたが私に焼き付けた世界は鮮やかすぎて、とてもすぐには霞みそうにない。

 亡くしたものへの強すぎる、大きすぎる想いが、いつでも彼を突き動かしていた。歪んでいるのに、まっすぐ。

 だからこそきっと、私はこんなにも強く惹かれてしまった。

 でも、私は求め続けることはしない。

 あなたができなかったこと。

 踏まれてくたびれた花を拾って、水に活けてくれた人。

 五感全てで覚えてる。つぶさに思い出せるけど、思い出すのは今日が最後。これで最後。

 そこから先の人生は、自分で歩いていくから。そこに留まることはしない。

 いつかまた出会う日がもし、もし来るとしたら、その時は、あなたも。

 誰かを強く想う気持ちを、何らかの形で量ることができるとしたら、それは想いの対象がいなくなってからでしかし得ないんだろうか。

 行くあてなんてないのに、想いの塊は自分の中で膨れ上がって、内側から苦しめていく。あるいは、行くあてがないから。きっと。

 さっき全て消えた魔石みたいに、砂のように風に溶けてなくなればいいのに。だったらどんなに簡単だろう。

 だけど、せめてまず、手放すことから。

 手に握ったバンダナが、風に打たれてぱたぱたと音をたてている。逃れようとする鳥みたいに。

 何度こうして眺めただろう。縫い込まれた模様も、染み付いて落ちない汚れの位置も、頭の中で描けるくらいに。そうすることで、頼りない望みを繋げると信じたかったから。

 小指からひとつずつ、指を開いていく。

 迎えに来ていたみたいに、ひと際強い風が吹く。

「おい……」

 強い風に弄ばれていびつに宙を舞いながら、やがて軌道に乗って、空を流れていく。

 空っぽになった手のひらには、風の感触だけが残る。掴めるのに、目には見えない。

 くわえていた煙草が口から零れ落ちたことにも構わずに、セッツァーは風に攫われたそれと私を交互に見ている。いつもの澄ました顔が少し崩れていて、なんだか可笑しい。

 青いバンダナは、広がる海の色に溶けて、もう見つけられない。

 一時だけでも、私の世界の全てだった。










(2013/02/03)

Adeleの曲に触発されて書きました。最初はもうちょっとさらっとしてたんですけど、書き終わってからなんだかいろんな考えがむくむくと浮かんでしまって、一回書き終わったものにかなり手を加えました。

あんまり自分の話に解説つけるの好きじゃないんですけど、ご興味のあるかたはどうぞ〜。

*続きをよむ*



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