地上と空
「俺、あそこから降ってきたのかあ」
頭の後に手を組んで仰向けに寝転がりながらザックスが言う。
花と土の匂いが、鼻腔に、身体じゅうに、霧の粒子がまとわりつくように降ってくる。この間は慌ただしくてゆっくり耽る時間もなかったけれど、花の香りをじっくり嗅ぐなんていつぶりだろう、とザックスは思う。いやそもそも、生まれてこの方そんな経験はなかったかもしれない。
だけどなんだか懐かしい気持ちがするから不思議だった。
「そう。降ってきたの。文字通り」
ザックスの隣で行儀良く膝を折って座っているエアリスが、高い天井にぽっかりあいた穴を仰ぎ見ながら言う。
「ラッキーだったな」
跳ね起きるザックス。
よく動く人。この人のそばにいると、空気が淀むことがない、とエアリスは思う。
「怪我しなくって、良かったね」
「まあそれもそうだけど」
可愛い子に会えてラッキーだったなっていう意味なんだけど、とザックスは心の中で呟いたが、なんとなく口に出すのはやめた。
そんなことはつゆにも思わず、エアリスは、
「ね、ザックスが来ると、お花たち、いつもより元気な気がする」
と無邪気な調子で言う。
「そんなのわかるの?」
「わかるよ」
エアリスは答えると、愉しそうに微笑んで花を見渡す。
その横顔を眺めていたザックスに、ある考えが閃く。
「ははあ」
「なあに?」
「俺が来るとエアリスの機嫌がいい。だからお花たちも機嫌がいい。そういうこと?」
大袈裟に首を傾げて、エアリスの顔を覗き込む。自惚れきった台詞を言っても嫌味にならないのは、ザックスという男の美徳だ。
「ばっかみたい」
一瞬きょとんとした表情を浮かべたエアリスだったが、すぐに満面の笑みを向けて言った。
ザックスの胸が高鳴る。
確かに、ラッキーだった。
「いやでもほんと、天国かって思ったんだ」
その場を誤摩化すようにザックスは言う。
「明るくて、花の匂いがして、天使がお迎えに来てて」
「天国かあ……」
エアリスは首を捻りながら、呟くように言う。
「天国って、あると思う?」
捻った首をぐるりとザックスの方に向けて、エアリスは訊ねる。
エアリスの仕草を真似るように首を捻りながら、ザックスは考える。
「行ったことないからわかんねえけど…。でも行ったことないからって、ないって決めつける理由にはならないよな?」
ザックスの答えを、エアリスは少し考えた。それから、
「ふ〜ん」
とだけ言うと、座ったまま身体を捻って、何かを吟味するようにザックスの目を覗き込む。
青、緑。お花の茎や葉の緑色とは違う、とエアリスは思う。ソルジャーの証、とこの前ザックスが言ったことを思い出す。
ザックスはというと、あまりに真剣に見入られるものだからいつものように気の利いた冗談のひとつも言うのも忘れ、少し気圧されていた。
エアリスの目は、そこに咲いている黄色い花の葉っぱみたいに鮮やかな緑。ミッドガルにはない色だ、とザックスは思う。
その瞳から視線を逸らすと、今度はワンピースの細い肩紐から覗く肌に思わず目を奪われる。エアリスの肌は、赤い色合いの花の、中心にかけて白くなる花びらの、赤と白の境目のような色だ、とザックスは思う。
ザックスの内なる動揺をよそに、髪を結ったリボンの結び目にそっと触れながら、エアリスは立ち上がる。そのまま花の絨毯に歩み寄ると、屈んでいつものように手入れを始める。
さっきまで間近にいた存在が離れて、ザックスは寂しくもあり、同時にほっとした。が、手持ち無沙汰になりなんだか落ち着かない。
だけど、彼女が動く度に一緒に揺れるピンクのリボンを見ていると、なんだか心が温かくなる。同時に、自分が贈ったそれをいじらしく身につけている彼女を可愛いと思うとともに、征服欲か何かを満たされたような気持ちを覚えた。そんな気持ち、俺にもあったんだな、と、なんとなく疚しい感じがした。
しばらくザックスがエアリスの後姿を眺めていると、
「ね、上の街って、楽しい?」
と、手を止めずにエアリスが言う。
エアリスから話を振られて、少し救われた気分になりながら、
「うん。色んな店があるぞ。エアリスもきっと気に入る」
とザックス。
「それに、空、近くに見えるんだよね」
「うん、近いぞ。それに…」
言いかけて、ザックスはあることに気付いた。さっきから当たり前に吸い込んでいた香りを、急に思い出した。
「プレートの上って、空はあるけど、土の匂いがしないんだ」
「そうなの?」
エアリスは立ち上がりながら、ザックスの方に振り返った。
「うん、だから花も咲かないんだ」
顎を指でつまみながら、ザックスは言う。
それから、「よし」と言って手で膝を叩いて、勢い良く立ち上がった。
「次会う時は、上の街に行こう。で、その次は、塀の外だ」
エアリスは瞬きをしながらザックスを見た。その目は、微かに期待に揺れているようだった。
「空も大地も、ずーっとでっかくて広いぞ、エアリスも絶対好きになる!」
「絶対?」
「絶対だ。任せろ、絶対連れてってやる」
親指を自分の胸に向けて、ザックスは白い歯を見せながら頼もしく言った。
エアリスは、微笑みながら大きく頷いて、言った。
「待ってる」
その笑顔に、この日何度目かの甘やかなざわつきを、ザックスは胸の内に覚えた。