みぞれ




 秋の気温は変わりやすい。汗ばむくらいに暖かかったり、思わず身震いするくらいに寒かったりして、秋の朝の目覚めは予測不能だ。

 この日私は目覚めると、毛布から少しだけ出た肩で感じる冷たさを自覚するとともに、窓の外で何かが降っている音を聞いた。

 雨、と思ったけれど、違う。雨よりもしっかりしていてだけど雪よりも頼りない質感が、屋根や窓枠にあたるしゃりしゃりとしたこの音は、きっとみぞれだ。

 ベッドから抜け出し、裸足で触れた床の冷たさに、背筋までひやりとする。たまらずスリッパを履いて、ベッドのそばの窓の前に立ち、カーテンを少しだけめくって外を窺う。やっぱり。雪と雨の混ざった大きな粒が、少しだけ出た陽を受けながら天から絶え間なく降り注いでは、地面に辿り着いた途端に水となって、アスファルトを滲ませていく。

 ふいに、頭が一瞬フラッシュがかかったように白み、思わず瞬きをする。

 既視感。

 既視感というより、既体験感、とでも言ったほうがいいかも知れない。そうだ、あの朝もみぞれが降っていて、私は全く同じように、裸足を冷たい床から守るためにスリッパを探した。そして窓辺に立って、みぞれの降る外を眺めた。

 雪解けの遅いニブルヘイムに、ようやくクロッカスが咲き始めた三月の終わりの朝だった。



 春になったらミッドガルに行く、クラウドがそう話してくれた給水塔のあの日から、私たちは挨拶くらいはするようになったけれど、特別に親しくなったわけじゃなかった。クラウドはそれまでどおり一匹狼で、私の仲の良かった子たちとも相変わらず馴れ合う様子はなかった。だけど、私と挨拶を交わす一瞬一瞬に、笑顔、とまでは言えなくても、少しだけ目許や口許が優しくカーブしたような気がして、私はそれを秘かに嬉しく思うようになった。

 そうしているうちに、あっと言う間に春になった。

 その日の夕方、家の扉を開けて中に入ろうとした時、お隣の家からクラウドが手にごみ袋を持って出てきた。お母さんと二人きりのクラウドの家で、ごみ出しはクラウドの仕事だということは、私がクラウドを目で追うようになってから知ったことのひとつだった。

「クラウド」

 私はクラウドを呼び止めて、言った。

「明日、行くんだよね?」

 一瞬の間のあと、クラウドは答えた。

「うん」

「明日のいつ?」

「朝、早く」

「そっか…」

 継ぐ言葉がすぐに出てこなくて、私は少し目線を逸らした。まだ所々に雪が残る地面から、給水塔へ視線を流す。それから、言った。

「約束、忘れないでね」

 クラウドは、少し照れたように頷きながら、言った。

「忘れない」

 もう夜が近くて暗かったけれど、その時クラウドが見せてくれた表情は、今までで一番柔らかくて優しくて、はっきりと笑顔だとわかった。

 私たちは二人とも、なんとなくその場から離れ難くて、足元とか中空とかをちらちら見ながらしばらくそこに立っていた気がする。そのうち、家の中からパパが私を呼ぶ声がして、それを合図に、私は家に入り、クラウドはごみを出しに反対側に歩いて行った。

 次の日の朝、目覚まし時計をかけたわけじゃないのに、いつもよりずっと早く目が覚めて、私は冬の終わりの朝の肌寒さに自分の肩を抱きながらベッドを降りた。裸足で触れた床は空気よりもずっと冷たくて、慌ててスリッパを履いた。屋根を叩く雨みたいな音に混じって、車のエンジンの音が聞こえた。

 カーテンを少しだけ開けて村の中央の広場に面した窓から外を見ると、みぞれの幕の向こう、クラウドの家の前にバンが停まっていた。その傍らに、淡い金髪の二人の姿が見えた。車はたぶん、村で商店をやっているおじさんの車だったと思う。仕入れのついでに、ミッドガルまでクラウドを送るのだろうか、と私は思った。

 クラウドがバンの後部座席に乗り込むと、みぞれに降られるのも構わずにクラウドのお母さんは車の窓に近付いて何かを言っているようだった。

 それから車は動き出して、村のゲートをくぐって行った。エンジンの音が遠ざかり聞こえなくなると、耳を打つのはみぞれの音だけになった。クラウドのお母さんは、しばらくそこに立っていた。

 みぞれはそれから雨に変わって、それもお昼前には止んで、雲の隙間から現れた太陽が木々や家々に残った水滴を眩しく照らした。その日は一日中、ふとした瞬間に、もうクラウドはいないんだ、と考えては、その度胸が締め付けられる思いがした。



 パジャマの裾を引っ張られて、現実の時間に引き戻される。振り向くと、彼はあの日の少年みたいに幼い顔をして、眠そうな目で私を見ていた。

 もう起きる時間だけれど、朝の冷たい空気に触れた身体を少し暖めたくなって、彼の隣に潜り込む。腕を回してくる彼の温もりは、毛布の温もりと相俟って眠気を誘う。子供たちが起き出す前に、一階の暖房を入れて部屋を暖めておかなくちゃ。だけど、もう少しこうしていたいと思った。

「みぞれが降ってるの」

 私が言うと、深く息を吸って吐くのに合わせて、彼の胸が大きく上下する。

「珍しいな」

「雪になるかな」

「そうだな」

「雨になるかな」

「そうかもな」

 何も考えていないような返答に、まだ覚醒しきっていないんだろうな、と苦笑する。

 あの朝秘かに見送った少年を、あと数時間もしないうちに、私は仕事に送り出す。だけど、次いつ会えるとも知れなかったあの時とは違って、今夜にはまた彼を家に迎える。そして明日も明後日も、私はこの腕の温もりの中で目覚めるのだ。









(2011/10/28)


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