Sleepless



手摺に凭れて夜空を眺める。

グラスのお酒を一口啜る。

外気で冷えた体が少しずつ温まっていく。

喧騒の街を照らす、真っ白な満月がもたらす静謐。


変な夢を見たわけでもなく、何か大きな物音がしたわけでもないのに、私は浅い眠りから覚めてしまった。

サイドボードの時計を見ると、針は夜中の1時を少し過ぎたところだった。

ベッドに入ったのが12時頃だと記憶しているから、1時間あまりしか寝ていないことになる。

こんなふうに目覚めた時に、眠りに戻るのは難しいことは経験上わかっている。

こういう場合は無理に眠る努力をしてベッドに留まるよりも、いっそ抜け出して何かをしながら睡魔の訪れを待つのがいい。

隣で穏やかな寝息を立てているクラウドに注意しながら、ゆっくりとベッドを降りた。

夜着の上に長袖のカーディガンを一枚羽織って、そっと寝室を後にした。

階下の店のキッチンにある酒棚で、ほとんど底につきそうになっている酒瓶を見つけ、それを飲みきることにした。

幼い頃から私は、ひとつのものを最後まで使い切ることに小さな喜びを感じる。

小さめのグラスを半分ほど満たすと瓶は空になった。

眠れない夜には丁度いい量だろう。

足音を殺しながら階段を上り、二階のベランダに向かった。


クラウドと子供たちを起こさないように、静かにベランダのガラス戸を閉めてから10分くらい経っているだろうか。

時計がないのでわからない。

雲が月に道を空けるように、月の周りがすっきりと開いた薄曇りの夜空が頭上に広がっている。

風は無く、雲と月は一枚の絵画のようにそこに静止している。

時間の流れが止まったような錯覚に陥る。

風は無いけれど、夜はやはり肌寒い。

カーディガンを羽織ったのは正解だった。

夜空を見上げるときまって、私の中の幼い記憶が語りかけてくる。

星の出ている空を見上げれば故郷のようだと思い、星のない夜を見れば故郷とは違うと思う。

私の頭の中にはそんなふうに、夜空と故郷を直に結ぶ専用の回路があるのだろう。

きっとそれはこれからも変わることはないのだろう、と漠然と感じる。

故郷の月は、どんなだったろう。

どんなに注意深く記憶を探っても、私の中の故郷に月の居場所は見つからない。

ニブルヘイムの夜空は星明りが眩しすぎて、月はいつでも脇役だ。

背後のガラス戸が開く音がした。

首だけで振り向くと、クラウドがいた。

「風邪ひくだろ。」

叱るのではなく、諭すように彼が言う。

私は持っていたグラスをかざして、

「あったまってるから、大丈夫」と返す。

彼はなかば呆れたような笑顔を見せた。

それはデンゼルやマリンに何かせがまれた時に彼が見せる『降参』とか『了解』の笑顔だ。

要するに、父親っぽい笑顔。

「ごめんね、起こした?」

「いや。」

返事をしながら彼は私のウエストのあたりに腕をまわして、顎を私の肩に預ける。

風邪ひくだろ、と私の心配をしながら、自分は寝間着にしている半袖のTシャツのまま出てくるあたり、この人はどこか抜けている。

自分が小さかった頃は、22歳とか23歳の自分の姿なんて想像できなかった。

ましてや、自分のお腹を痛めたわけではないにせよ、二人の子供を育てているなんてどうやって想像できただろう。

そしてその二人の父親であり、私にとって何にも代えがたい最愛の人がクラウドだとは。

血は水よりも濃いと言うけれど、私たち四人は血よりも濃い愛情と信頼で結ばれていると信じている。

それは完結したことではなく、そして永遠に完結することはないのだろう。

愛情と信頼はこれから先も、光と水を与えて大切に育てていかなければいけないものだ。

「何?」

私の手からグラスを取って彼が訊く。

「コレル酒。」

一口啜ると、クラウドはまた私の手にグラスを戻した。

「思い出すな。」

何を、と言わなくとも、彼が意味するところは察しがついた。

3年程前の大混乱の中、絶望と希望が混在する瓦礫の街で、私たちが久方振りに声を上げて笑った日。

「笑っちゃったよね。バレットの昔話。」

その時バレットが用意してくれたのが、彼の故郷コレルの酒だった。

今でこそ豊富な種類の酒を常備できるようになったが、エッジに店を構えた当初提供できたのはこれだけだった。

そうだ、あの時も、こんなふうに穏やかに過ごせる夜が来るなんて到底想像できなかった。

先のことってわからない、と改めて思う。

満月がグラスの湖面に映って揺れている。

真横にある彼の横顔を見遣る。

薄いまぶたに、長い睫毛。すっと通った鼻の稜線。

彼の顔を近くで見たのは、あの給水塔の夜が初めてだったと記憶している。

夜だったけれど、星が明るかったから顔がよく見えた。

今まさにそうしているように、こんなふうに間近で彼の腕に収まりながら、彼の横顔を愛でることができるのはなんて幸せなんだろう。

もしかしたら、少女だった私は頭のどこかでそんな夢を見ていたのかもしれない。

少なくとも、あの約束を交わした後は。

もう少しだけ首を回すと、鼻先が彼のなめらかな頬に触れた。

気づいた彼は、白い月明かりで薄水色に見える目を私の目に合わせ、軽く指で撫でるように口づけてきた。

長く深いキスの終わりの名残惜しさとは少しだけ違う手触りが、こんな短いキスの終わりにはある。

ベランダの手摺にグラスを置き、彼の方に向き直って体を預けた。

「やっぱり寒い。」

ふっと笑う微かな声が耳元で聞こえた。

言ったろ?って顔をして微笑んでいるんだろう、きっと。

ごく自然に私の体にまわされる彼の腕は、お酒がもたらす熱よりもずっと温かい。

クラウドの腕の中は不思議なところだ。

私を落ち着かせる時もあれば、どきどきさせる時もある。

今はどっちだろう。

心臓が少しだけ速く打っているのは、お酒のせいだけだろうか。

先のことはわからないけれど、今言えるのは、私と二人の子供たちを包んでくれるこの腕を決して離したくはない、ということ。

少しだけ眠くなってきた気がするのは、やっぱりこの夜の彼の腕が私を安心させるものだからかもしれない。


甘いクラティは大好物なんですが、自分で書くとなると難しい…

精進します。



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