夢か幻か




 戻ってきた最初の感覚は、音だった。波の音だった。

 そのうち意識が少しずつ俺を捉えた。残りの五感は、まだ戻っていなかった。

 ぼんやりとした頭で、ここは天国かなあと考えた。俺に天国に行けるような徳があるかは謎だけれども。ともかくそれくらい穏やかだった。

 それから人の声がした。大丈夫かとか生きてるかとかしっかりしろとか言っていた。俺に向けられていたのかどうかはわからないが、とにかく聞こえた。

 口の中になんとなく血の味を覚えた。

 生臭い潮の匂いが鼻腔に届いた。

 服が濡れて張り付いているような、べたっとした感覚を肌に感じた。

 そして金縛りが解けたみたいに、意識に追いついて急激に体の感覚が戻ってくると、そこらじゅうが痛いし重かった。

 ああ、やっぱり死んでない。

 最後にそう考えて、俺の意識はまたどこかへ行った。

 それから一ヶ月が経つ。

 俺は知らない浜辺で知らない町の住人に助けられ、以来気のいい宿屋の世話になっている。

 世界の様子も、ちょくちょく耳に入ってきた。この町は比較的被害が軽いらしく、そこそこの生活を維持しているという話だ。そんな町に流れ着いたのはラッキーだった。俺の悪運も捨てたもんじゃない。

 とはいえ体ももう元通りだし、いつまでもここでくすぶってても仕方ない。いつまでも世話になってるわけにもいかない。こんな時だからこそ動かなきゃいけないが、何から始めていいのかわからない。

 そんな状態が続いている。

 俺は町のはずれの原っぱに出て、仰向けに寝転がった。

 見上げる空は黄昏の赤。

 聞こえは風流だが、これは異常だ。夕陽の時間と夜の時間が異常に長くて、青空の時間が異常に短い。世界の均衡が乱れた影響なんだろう。

 青い空が懐かしい。

 妙なことになったもんだ。俺はしみじみ考える。

 レイチェルが死んで、エドガーに出会って、リターナーに入って、ティナに出会って、それから……

 あいつに出会って、俺はいつでも迷ってた。

 それから、狂った奴らの暴走で、世界はこんなことになった。

 あいつの手、掴んでいたはずなのに、離れてしまった。無事でいるだろうか。

 夢みたいだな。こんなことが起きるなんて。

 それとも幻だったのは、前の世界の方なのか。

 みんなや、あいつに出会ったことも、全部俺の夢だったんじゃないだろうか。

 あいつの、みんなの無事が気にかかる。だけど、俺は何をすればいいんだろう。

 今まで、何をしてきたんだっけ。何のために動いてきたんだっけ。

 ああ、そうか。レイチェルが死んで、俺はずっと、秘宝を探してたんだよな。

 蘇りの秘宝か。この期に及んで求める意味はあるのか。そもそもコーリンゲンは無事なのか。地形はずいぶん変わってしまったらしいから、無事だとしても探すのも容易じゃないはずだ。

 ふと、引きずるようなゆっくりな足音がして、音の主は俺の頭の隣に腰掛けた。

 見れば、世話になってる宿屋のばあさんだ。宿を経営しているのは彼女の息子夫婦だ。このばあさんは多少ぼけてはいるが、ずいぶん元気で、一人でちょろちょろと動いてまわる。髪は見事に白くなっていて、雲みたいだ。

「長生きしている色々あるものねえ」

 腰を落ち着けて一息ついてから、ばあさんはやけにのんびりとそう言った。今日のご飯はどうしようかねえ、と言うような調子だ。

「いつまでこんな空が続くのかしらねえ」

 空をのんびりと見つめながら、ばあさんはやっぱりのんびりと言った。

 俺はなんとなく目を閉じた。

「ここはね、火山を臨む町だったの。地形が変わってしまって、どこに行ってしまったものだか」

 そう言って溜息を吐く音が聞こえた。

 火山の町か。そういえば微かに硫黄の香りが町のそこかしこに残っている。存在は知っていたが、来たことはなかった。世界を股にかけてたつもりが、まだまだ未踏の地があるもんだな。

「ここらへんの土地には、語り継がれてる伝説があるのよ。ひいばあちゃんのもっともっと前の代から語られてきた話」

 俺は寝転がりながら聞こえるままにばあさんの声を耳で拾う。もうずっと昔に死んだ、うちのばあちゃんを思い出す。ガキの頃はよくこうやって、寝物語をしてくれた。

 ああ、これは俺のばあちゃんなのかな。となるとやっぱりここはあの世かな。

「ちょうどこんな夕暮れの日に、空に真っ赤な鳥が飛んでいた。大きくて、尾の長い、誰も見たことのない不思議な鳥だった」

 俺は閉じていた瞳を開いて、頭上の空を改めて眺めてみた。

 マグマのような圧倒的な赤。

「それから数日して、火山が噴火したの。その鳥が呼んだのではないか、と町の人は噂した。歴史上一番の大噴火だった。しばらく空も大地も灰に覆われたの」

 ばあさんの語り口は相変わらずのんびりだったが、そこに少しの緊張感が帯び始めた気がした。

「何者?その鳥って」

 俺は初めて質問をした。最初は話半分で聞いていたが、聞いているうちに多少興味が湧いていた。

「不死鳥フェニックスの伝説よ。フェニックスの炎は蘇りの炎。フェニックスはその炎で自らを灼いて、その灰から何度でも蘇るのよ。輪廻転生を自ら永遠に繰り返すのよ」

「フェニックス…」

「ある時フェニックスは深い傷を負って、蘇りの力が弱まってしまった。自分を灼くのに十分な炎すら出せなくなってしまった。そしてフェニックスは自ら火山に飛び込みその熱に灼かれて力尽き、二度と復活することはなかった、というお話」

 ばあさんがそこまで言い終えると、俺は上体を起こした。ばあさんは意に介する様子もなく、遠い目をしながらさらに続けた。

「フェニックスは伝説上の生き物と言われているけどね、そういう幻獣がいたらしいという説もあるの。幻獣は知っている?」

「ああ、まあ…」

 俺は生返事を返す。知ってるも何も、というところだが、ここで話す必要があるか疑問だった。それより続きが聞きたかった。

「今回の大崩壊は、魔法の力が世界に復活したからだっていう話があるそうじゃないの。魔法、そして幻獣。生きてるうちにそんなものが復活しようとはねえ…。おとぎ話だと思ってたのにねえ…」

 ばあさんの声を頭の半分くらいに響かせながら、半分で俺は別のことを考えた。その感覚は、空白だった地図が埋まった時のような、閃きと、衝撃と、高揚に満ちていた。

 不死鳥。蘇りの炎。魂を呼び戻す秘宝。フェニックスの…

 俺は急に思い出して、ポケットに手を差し入れた。仲間と離れ離れになった時、俺が唯一持っていた魔石の感触を確かめた。あいつの中の魔力と同じ、氷の幻獣の力を宿した石だった。

 ある。夢じゃない。

 俺に構わず何やら喋り続けているばあさんを遮って、俺は立ち上がった。

 もう一度会いたい。

「ばあさん、俺行くわ」

 ぽかんと俺を見上げるばあさんに、俺は続ける。

「ありがとな。俺達がなんとかするから、ばあさんももうちょっと長生きしろよ。こんな世界のままくたばることないって。長生きして、もう一回奇跡を見ろよ」

 その日のうちに、俺は世話になった宿屋に礼を言い、荷物をまとめて町を発った。裂かれた世界の、この土地周辺が描かれた地図を持たせてくれた。その断片的な地図に、俺は気持ちの昂ぶりを覚えた。道なき道を行くのは好きなんだ。久し振りのこの感覚。前に進む足は、これまでになく軽く力強く動いた。

 死んでないよな。俺が生き延びたくらいなんだから。何回死にかけても死なない奴だ。あいつはそういう奴なんだ。

 幸運だか強運だか悪運だか知らないが、とにかくなんかの女神様がついてるに違いない。もしかしたら、それは不死鳥の加護なのかもしれない。

 世界に散らばる魔石はきっと、散り散りの仲間を呼び集める。あいつらはきっと、集まってくる。

 根拠のない確信を説明する術はないけれど、とにかく今俺は、前に進む理由を手に入れた。

 秘宝を求める理由が、前とは違うことに気が付いた。いや、もしかしたら違わなくても、意味が増えたことは確かだ。

 俺はフェニックスを探す。求める先に、あいつがいる気がする。











ロックは蘇りの秘宝がフェニックスだって元々知ってたんでしょうかねえ。そういう秘宝があるってだけで、具体的にどんなものかってことは知らなかったんでしょうか。そういう妄想から書いてみました。あとは、仲間そっちのけでフェニックスを探してたってことにちょっと理由付けをしたかったのです。(2012/05/06)


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