騒音




 想定内と想定外の目覚めだった。

 明日は二日酔いになるな。酩酊した頭にしては奇妙な冷静さで、俺は昨夜そう思った。そしてその通りになった。熾火みたいな熱のせいでやたらと喉が渇き、腕や肩がだるく、胃が重い。想定内の症状だ。二日酔いにしては軽いくらいだ。仕事が休みの日なのは幸いだが、せっかくの休みを二日酔いで潰すことには、やるせない憤りを感じる。

 想定外は、この騒音だ。裏通りに面した閉じた窓の外から、何か工事のような音がする。地面を掘るような音、重たい金属が触れ合うような音、男たちが大声で何かを言い交わす音。振動で、時々窓がびりびりと震える。素面の状態であっても、この騒音の中で目覚めるのはあまり愉快なものじゃない。

 体に残った酒気と頭に響く耳障りな音を追い出すように、気休めとはわかっていたが、大きく息を吐いたところで、寝室のドアが開いてティファが入ってくる。

 ペットボトルの水とグラスをそれぞれの手に持ちながら、彼女は俺を覗き込む。

「どう?」

「…飲みたい」

 彼女の手元に目配せしてそう訴える。思いの外甘えたような声が出る。

 彼女はグラスに水を満たして俺に差し出す。体を半分起こして俺はそれを飲む。

 冷たい水が喉から全身に沁みていき、毒気を清めていくのがわかる。俺はグラスを彼女に返して、また枕に頭を戻す。彼女はサイドテーブルにグラスを置き、ベッドの端に腰掛ける。

 ため息を零す俺を、彼女は柔らかく見つめている。

「窓、開けてくれないか」

 俺の問いかけに、彼女は首を傾げて問いで返す。

「うるさくない?」

「何の音」

「ここの区画の水道管の工事だって」

「いいよ、開けて」

 彼女は立ち上がって窓を三分の一ほど開けると、平気?と訊ねるようにこちらを見る。

 俺はそれに頷いて答える。

 開いた窓から騒音はよりダイレクトに聞こえてくるけれど、いくらか室内より温度の低い外気が漂ってくるのは快い。開けた窓の隙間から薄曇りの空が僅かに見える。

 ティファはまた先程の場所に腰掛け、子供の熱を計るように俺の頬に触れる。ペットボトルを握っていた方の彼女の冷たい手は、雪解けの湿った柔らかい土みたいで、渇いた肌に心地好い。毒気がまた少し抜けていくのを感じる。

「薬飲む?持って来ようか」

「いや…」

 俺は曖昧に答える。彼女はまた首を傾げて俺を見下ろす。銀のピアスが揺れる。鈍い光を浴びて閃く。

 半身を起こし彼女を見上げる格好で口づける。ごく軽い感じで彼女は受ける。

 シャツの裾から手を差し入れ、細い腰骨からくびれた腹部、さらに手を北上させる。膨らみに触れたところで、彼女は唇を離す。責めるように眉を顰めているが、何も言わない。薄く開いた唇と細めた瞳が、渇いた俺とは裏腹にやけに瑞々しい。

 彼女の腕を引き、背中をベッドに戻しながらまた口づける。細い髪が顔をくすぐる。舌を送ると彼女は応える。唇を合わせたまま、体を入れ替えて彼女を覆う。

 明るい時間に彼女を求めたことはない。そもそもそんな機会もなかった。戯れで朝、起き抜けにそういう愛撫があることもある。さっきだって、俺はその程度のつもりだったと思う。いつもの彼女だったら、窘めるように笑ってかわす。

 だけど今日はそれがなかった。それがいけない。その時点で彼女の共犯者になった。諸々のタイミングと、体に残ったアルコールの熱と、情事を掻き消す騒音に後押しされたのかもしれない。

 服を脱がせた彼女の肌が、発火するようにどんどん熱を帯びてくる。二日酔いの俺の熱は、彼女の温度に熱せられてもう輪郭は曖昧だ。

 時々、荒い息の隙間を縫うように声が漏れる。どこにどう触れればその声を引き出せるかを俺は知っている。

 彼女の中は生温くて水っぽくて柔らかい。ちょうど今日の天気みたいに。耳許に聞こえる彼女の吐息が速くなって、自分も息が上がってきたことに気付く。遠くに工事の音を聞きながら、自我が攫われていくのを感じる。


 気怠い充足の中で、俺は眠ったらしい。目を開くとすぐに、夢の残像が急ぎ足で逃げていく感覚に、その眠りは一瞬だったのだとわかる。僅かに掴んだ残像の断片から、夢は故郷に関するものだったと知ったが、それ以上のことは思い出せない。

 窓から侵入してくる生温い風が、汗ばむ肌を撫でていく。微かに感じる埃の匂いにも、不思議と不快さを覚えない。

「今、何時」

 腕の中のティファがくぐもった声で訊く。彼女の眠りもまた、一瞬だったのだと思う。

「十一時半」

 彼女の向こう側にあるサイドテーブルの上の時計を見て俺は答える。

 彼女はもぞもぞと体を起こし、その辺に散らばった服を手に取る。時間が時間だ、昼食の支度をする気なんだろう。

 そういえば外の騒音が止んでいる。彼らも昼に行ったのだろうか。

 俺は彼女に倣って体を起こす。

「酔いは醒めたの?」

 ティファが訊く。

「お陰様で」

 酒の酔いは別の酔いで醒ませばいいことを俺は知った。

 彼女は少し眉を寄せて呆れたような顔を向けるが、しょうがないな、とでも言いたそうに微笑している。俺はその頬に口づける。











けだるい感じのクラティが書きたくてできた話です。(2011/11/09)


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