忘れる
クラウドが帰ってきた。たくさんの意味で。
不思議、と思う。
肉体は同じなのに、そこに宿る意識や記憶が変わったり、戻ったり、入れ替えられたりすると、全く別の人のような気がする。
そしてそれは、私も同じ。
あのライフストリームの、クラウドの意識の深みの空間で、私もまた、欠けていた多くの記憶を見つけた。ずっと私の中から消えていた、消えていたことにも気付かずにいた記憶。
ママは、私が7歳の時に亡くなった。
だけど、私の中でママはもっとずっと、私が世界を理解し始める前から、いないことになっていた。
亡くなったその日のことと、ママにまつわるその日の前の記憶は私の中から抜け落ちていた。
橋から落ちたせいなのか、その喪失のショックからなのかはわからない。
動いているママの姿も、喪失のその日のことも、その日を境についこの間まで、忘れていた。
クラウドの肩に、後ろから頭をあずけた。
間違いなく確かなこの存在。もう何も疑わない。
「思い出したよ、たくさん」
彼の肩口に呟く。
「俺も」
応えたクラウドの声は囁きみたいに小さかった。
だけど耳からの音と、触れている身体の振動からとで、確かに感じた。
「こんなにたくさん、忘れてたなんてね」
戻った途端、息苦しいくらい鮮明に、ママの声や気配や私に触れる肌の温かみが、五感の全てを捉えてくる。それはあまりに圧倒的で、私を中から押しつぶそうとするみたいに迫ってきて、涙が出そうになる。
クラウドが動いた。
身体を捻って、腕をまわして私を抱き締めてくれる。
別の涙がこぼれそうになった。
クラウドは自分の真実を見つけただけじゃない、私にもたくさんの欠けていた真実を見せてくれた。
いや、欠けていたんじゃない。記憶も真実も、本当はいつもそこにあったのだ。眠りから醒めるのを待っていたのだ。
これからもきっと、私は自分の中の何かを忘れていく。でもその一片一片の全部を、何かのきっかけで思い出すんだろう。忘れるのは、いつかまた思い出すため。
クラウドの胸に深く顔を埋める。脈打つ音が、触れている部分を通して響いてくる。こんな風にクラウドの腕の中に身体を任せるのは初めてのはずなのに、懐かしい気持ちがするのはどうしてなんだろう。
涙がこぼれるのを堪える。今はまだ、耐えられる。
あの時もし私が、あの人がクラウドだって知っていたら、たくさんのことが変わったのかもしれない。出会った人に会わなかったかもしれないし、出会わなかった人に出会ったかもしれない。
悲しいことは起きなかったかもしれない。
だけど、辛いことも悲しいことも全部、この瞬間、この腕が与えてくれる温もりのためだったんだって、自分勝手な考えだけど、今だけはそう思っていたいのだ。
クラウドがここにいる。
同じ身体、同じ器なのに、少し前とは少し違う人。
肉体の意味ってなんなんだろう、と思う。
意識というものにひとりの人間の存在の全てを左右するような力があるのだとしたら、生身の身体は所詮ただの受け皿なんだろうか。
だけど私には、この生きている彼の身体の温もりが、いとしくて仕方ないのだ。