Heaven's in Your Eyes
その日、バレットだけがエッジに泊まって、旅の仲間たちはそれぞれ帰るところに帰っていた。
店中の酒を飲んでやると豪語していたバレットだったが、マリンが舟を漕ぎ始めると、自分も早々と切り上げて二人の子供達と共に子供部屋に引きあげていった。マリンも洗面所で寝支度をする間に目が覚めたのか、それからしばらくの間三人の話し声が微かに階下まで届いていた。
以前、バレットがここを去る前の夜、遅くまでバレットとマリンの話し声が聞こえていた時のことをクラウドは思い出した。そして彼女もきっと同じことを考えているのだろうと思った。
「長い一日だったね」
蛇口を捻り、タオルで手を拭きながらティファが言った。
水音が消えて、途端に空間の静寂をクラウドは意識した。同時に、ティファと二人きりだということを認識すると、にわかに緊張している自分に気が付いた。
理由を探れば考えるまでもない。誰よりも振り回したのは彼女だし、誰よりも自分を責める権利があるのも彼女だからだ。
ティファはキッチンから出てくるとカウンターに後ろ手に凭れた。それから何かを思慮するように、鍵盤を叩くような動きで指でテーブルを軽く弾くと、
「飲もうかな」
そう言って再度カウンターの中に入っていった。
クラウドはその様子をただ見ていた。
彼に訊ねるわけでもなく二人分の酒を用意すると、ティファはカウンターではなく壁際の横並びのベンチになっている席まで歩いてそのテーブルに二つのグラスを置いた。
促されているのを察知して、クラウドはティファの隣に腰かけた。
「ティファ」
クラウドは呼んだが、呼びながら続きの言葉を考えていて、結局わからないまま空間にふと穴が開いたように無言になった。
「クラウド」
何?とかではなく、ティファが自分の名前を呼び返したことに、理由はわからないが複雑な思いを抱いた。
「怒って、当然だと思うんだ」
「怒ってないよ」
ティファがふっと笑って言った。
「正確には、もう、ね。」
もう一回怒ってるし。とティファは言い足した。
ティファはそれからグラスに口をつけて一口飲むと、両肘で支えた手ででグラスを少し掲げて静止した。それからゆっくりとグラスをテーブルに置いた。
「私ね、練習してるの。したと思うことにしてるの」
クラウドは不思議そうに、そして少しの不安を滲ませて彼女を見た。
「…何の?」
「慣れる練習」
ティファは再度グラスを上げて一口飲んだ。それから言った。
「誰かを失うのって、悲しいことだけど、慣れなきゃいけないんだよ」
「だってそうでしょ?私たち」
ティファは今度はクラウドに目線を向けた。相変わらず供給が不安定な店内の明かりの中で、ティファの目はうっすら滲んでいるように見えた。小さな頃には知らなかった、世の中の暗さを見てきた目のようにクラウドには映った。だけど声には泣き出しそうな響きはなく、半ば突きつけるような鋭ささえ感じられた。クラウドは彼女が何を言わんとしているのか、すぐに理解した。
「私たちは、大事な人たちがいつまでもいてくれるって、思っちゃだめでしょ?」
諭すような、自分に言い聞かせるような声だとクラウドは思った。そして返すべき言葉に詰まった。
そこでティファの方が息を深く吐いた。クラウドは彼女からの続きを予期して、じっと待った。指先に無意識に力が入った。
「生きていくのって大変だよね」
目線を彼からグラスの方に戻しながらぽつりと言った。語りかけているようにも独り言のようにも聞こえた。
「一人で生きていくのは寂しいけど、誰かと生きていくのも大変だよ。わかってきたの」
クラウドは黙っていた。
「一緒に生きていくって」
言い募る彼女の言葉に、クラウドは耳と僅かに首を傾けた。グラスにかけた手にさらに力が篭った。
「好きなだけじゃだめなんだよね」
彼女はそれから首をクラウドのほうに捻らせたが、目線は彼を見なかった。かわりに彼の前に置かれたグラスのあたりを漂った。
「私たち、やっていける?」
──私たち、大丈夫だよね。
彼女がいつか言った言葉がクラウドの記憶に蘇る。途端に、酔わないはずの酒に吐き気がしそうになった。二度もそれを言わせてしまった自分をひどく恥じた。
たった今それを言ったティファの声には、一度目の時のような、根底にある縋るような気持ちを覗かせるような、探るような響きはなかった。むしろ淡々としていて、それがクラウドには恐ろしかった。
ティファは強くなったのだ。この二年の間に。自分が勝手にいなくなった間に。彼女なりに、生きていくために必死だったのだ。一人で子供たちを守ってきたのだ。
自分に選べと言っている。覚悟がないなら、もう自分たちに選ぶ道はないのだと。
それは彼女の声に、視線に滲んでいた。クラウドはそれに気付いた時、心底ぞっとした。その恐怖は星痕の証が自分の体に現れた時に感じたものと似ていた。彼女の発した言葉が、比喩ではなく胸に突き刺さるように感じられた。
出て行ったのは自分なのに、ティファが自分から離れていくかもしれない、その考えがこんなに恐ろしいなんて。
今度は自分が口を開く番だとクラウドは認識していた。伝えたい感情はわかっている、けれども、表現する言葉を紡ぐのに逡巡した。喉の渇きを自覚したが、グラスには口をつけず、代わりに軽く咳払いをした。
「好きなだけじゃだめ、かもしれないけど、好きじゃなきゃやっていけないと思うんだ」
途切れがちに口から出てきた声は少し掠れていた。
「だから…」
言葉に詰まる。
ティファに抱いている感情は、「好き」なんて言葉で言い表せるものではない。
だけど、奥底をえぐれば、結局そこに行き着くのだと思う。純粋で、ほとんど野蛮なその感情に。
ふとティファの視線を顔に感じて、おそるおそる目を上げると、微笑む彼女の顔があった。そこにはさっき見せた微笑よりもさらに深みを増したような優しさがあった。その表情を見ながら、クラウドは泣きそうになっている自分に気が付いた。悟られたくなくてそのまま腕を伸ばしてクラウドは彼女を抱き締めた。顔を見ないほうが上手く言える気がした。
「上手く言えないかもしれないけど」
自分の方に頭を預けてティファが頷くのを感じた。
「これからもティファを失望させたり、怒らせたりするかもしれない。すると思う」
腕の中のティファが少し笑った。怒ってないってば。聞こえた訳ではないがそう言った気がした。
「本当はそんな自分をティファに見せたくないんだ」
ティファが笑ったのでクラウドも自嘲するように言った。
同時に、彼女の体に回した腕に力が入る。
──ティファにだけは、見せたくないんだ。
「でも見せると思う」
クラウドはティファを抱き直しながら続けた。
自分から離れたのに、でもやっぱりこうして戻ってきた。結局それは、自分はティファから離れるなんてできやしないからだと、クラウドは理解した。いや、本当はずっと前から知っていた。去ったのは、弱り死んでいく自分を見せたくない、エゴに他ならないのだと。
ティファは腕をもぞもぞと動かして、クラウドの胸から少し体を離すと、また彼を見た。クラウドはほとんど無意識にその頬に手を伸ばした。
こうして間近で見て、頬に触れれば、彼女は全然変わっていないように見えるのに、と思う。二年前と、炎に焼かれてもう今はない最後のニブルヘイムの夏と、給水塔の夜と。あの時ティファの輪郭は星空の色を映して青白く光っていた。こうして触れていると、指先が同じ色に染まって、あの時の記憶が流れ込んでくるような気がした。振り向いてほしかった自分。それが全ての始まりだったこと。
ヒーローなんてもはやティファは求めていないことは知っている。弱い自分も強い自分も関係なく、彼女はずっと受け止めてくれたのだ。忘れてしまっていたのは他でもない自分なのだ。
それでも、きっと自分は一生死ぬまで、その幼い自分の姿と決別するのなんてできないのだ。見栄を張りたい自分。彼女にとってのヒーローは生涯自分だけでありたいと願う自分。弱い自分は全て見せたはずなのに、それでも彼女にだけはそういう自分を見せたくないと思ってしまう。そんな自分を完全に手放すことはできない。何か矛盾しているとわかっていても。多分きっと、これからも。
「もう遅いよ」
ティファは微笑んで言う。その優しい目を閉じながら、クラウドの頬に軽くキスをした。
その通りだ、と考えるとなんだかおかしくなった。ティファも、そんな自分のことなどお見通しなのだ。ならばもう、腹をくくろうと思った。
クラウドは彼女に微笑を返して、それからキスをした。柔らかい感触に思考が途切れた隙間に、思った矢先から、また浅はかな願望が生まれた。いっそずっとその目が閉じられていればいいのに。知られたくない姿が映らずにいればいいのに。
目を開けば彼女の目もまたゆっくり開かれた。また懐かしさがクラウドを襲った。
そんな愛しそうな目で自分を見てくれる彼女が可愛くて仕方ないのだ。クラウドは思う。だから、あの天を映した彼女の目が、一生あの頃の自分から離れさせてくれないのだ。
最近AC直後のクラティのことを考えてしまう。だってここって、二人にとっての結構正念場なタイミングですよね。病気がきっかけとはいえ、一度でも自分たちを捨てた人を受け入れるのは相当な覚悟をしなければいけないはずで、そういうティファを書きたくなったのですね。
ティファはこういうこと言わないのかなあと思いつつ。「正直なの」って言えちゃうんだもんなあ。あれは私には無理ですよ(関係ない)。ま、でも「お説教だね」ということで。だから私が普段思うティファ像とはちょっと違うのかなあ…どうなんだろう。でも、こういう方向のティファをもっと掘り下げてみたいという気持ちもあるんですよねえ。
これ言っちゃうと身も蓋もないですが、ティファにしろエアリスにしろ、あのACでの描かれ方はだいぶ男性目線の理想像が投影されてますよね。製作スタッフに女性はどれくらいいたんだろう。女性がもっと多く関わってたら結構違うキャラクター造詣になってたのではという気がするのですがどうなんでしょう。
(2017/03/11)