Head or Tail
「誰も言わないんだな」
気配があるのは知っていたけど、聞こえてきた言葉は意外だった。
かといって、どんな言葉を予期してたかと問われると、わからない。この人には、そういう空気がある。どんな空気か、と問われると、やっぱり説明するのは難しい。
「何の話?」
声の方向を見ずに聞き返す。戸口に立っていたその気配の主は、低い足音をこちらに響かせながら言う。
「無駄な時間稼ぎしたいのか?」
いつかの場面と同じ。既視感なんていう神秘的な響きのものじゃなくて、ただ単に、同じ展開。意外とおせっかいが多いんだ。
この人の場合、件の国王陛下の持つ物腰の柔らかさがない分、質がいいのか悪いのか。
溜息と一緒に吐き捨てるように言う。
「だったらはっきり訊けば?」
「とげとげするなよ。可愛い顔が台無しだ」
「……」
肩を竦めるしかない。
ひょうひょうと人のペースを狂わせるところもそっくり。聞けば年も同じらしい。この年に生まれた男には何か、私の神経を逆撫でする資質でもあるんだろうか。いや、マッシュはそんなことはない。安易にくくるのは失礼だ。
「あんたの男」
「……そんなんじゃない」
「そういう匂いは隠せないもんなんだよ」
不躾な言い方。冗談でも俺の女になれとか言う人がいかにも言いそうなことだけど。
「本題はなんなの?」
「調子が出てきたな」
愉しそうに言う。
「昔の女をね」
この流れから、そのことが話題に上るだろうことは知っていた。そしてしっかり予想通りに、私の胸は曇がかかったみたいに苦しくなる。
「そんな夢みたいな秘宝があるって信じられるか?」
なんで私は自分が責められてるみたいな気分になるんだろう。
「ないって証明出来る?」
これってまるで、弁護してるみたいだ。
「そうだな。でも問題はそこじゃない。だろ?」
私は答えない。
その沈黙が肯定であることを、私も、きっとこの人も知っている。
「俺は国の法律やらルールやらは嫌いだけど、自然の摂理には従う主義なんだよ」
黙っている私に代わって言う。
それに関しては、たぶん私も異論はない。そう言えばいいのに、なぜだか言えない。
「あの王様も、長い友人らしいが冷たいね」
その王様とあなたは意外と似た者同士。声には出さないでおく。代わりに言う。
「無遠慮に踏み込むことが正しいって言える?」
それは冷たいってことになるのかしら。なるんだろう。この人の弁では。
「都合が悪い真実を突きつけることも時に優しさだ」
「……あなたの場合優しさから言うわけじゃないんでしょ」
はなから言うつもりがあるのだとしたら。
「正解」
「仮に彼を嫌いでも、面白がってひっかきまわすのはやめて」
「俺は嫌いなんて言ってない。あいつの方じゃないか」
「……お互い様ってところでしょ」
実際のところ、嫌悪というよりは、珍しいものへの純粋な興味のようにも感じる。自分とは決定的に相容れない考えへの、優越にも似た好奇心。
「どっちみち、俺が言っても反発するだけだろ」
誰が言っても、じゃないのかと思った。まるでそれが聞こえたみたいに、セッツァーは続ける。
「言うのがあんたなら効果あるんじゃないか」
鋭い痛みが胸を刺した気がする。目線も言葉も、ダーツみたいに、細く真っ直ぐ射抜く。
「私に言えって言ってるの?」
銀色の髪、珍しい。良く磨かれた剣みたいな色。見ていたくなくて、目を逸らす。
「あんたに惚れてんだろ。見ててわかんないのか」
なんて返していいのかわからない。
セッツァーはさっきからずっと、カードをシャッフルするみたいな動きで煙草の箱を弄んでいるのに、一向に吸おうとはしない。視界にちらつくその動きが何だか癪に障る。吸うならさっさと吸えばいいのに。何よりも、煙がないせいで見透かされていそうで心許ない。
「死んだ女に遠慮して言えないのか」
そこで何かが弾けたようだった。
「正しくないって、」
自分の声が思いの外大きかったことに、骨を伝う振動の強さで気が付いた。
「思ってたところで、言ったところで何になるの?止めてどうするの?彼女の肉体はまだここにあるのに。気が変わったから土に還すで済むの?」
実際のところ何が引き金だったのかわからないけれど、ともかくセッツァーの最後の言葉はにわかに私の忍耐の導線の最後に達して、爆発させた。自分の周りだけ爆風が舞ったみたいに、かすかな身震いがした。高揚した声が他の面子に、ロックに、聞こえてはいないかと、急に冷静に考えた。
セッツァーは少しだけ、本当に少しだけ、驚きで目を見張ったようだったけれど、すぐに平常の表情に戻って、言った。
「厄介なこと始めたもんだな」
掌の箱からようやく一本、煙草を抜き取る。
「その時は良かれと思ったのかな」
くわえた煙草を、もう一度唇から抜き取った。その表情からはさっきまでの意地悪さは消えていて、どこか物憂げだった。
「自分の心変わりは計算外だったか」
体の中からこみ上げる淀みを吐き出すように、溜息をつく。もう聞きたくなかった。
まだ解けていない問題の答えを急かされて、焦る子供みたいな気分だ。急かしたところで、答えは出ない。だってこれは、ロックの問題だ。
大体、私に何が言えるっていうんだろう。彼女の命を奪ったのは、私のいた帝国。帝国が彼女を殺さなければ、彼はそもそもそんな行動に出たりしなかったのだから。
それでも───
世の多くの人は、ロックの立場に置かれても、その行動をとるだろうか。選択肢があることすら、きっと知らない。
では傍観することは、それと同罪?
摂理に反して生かしておくことの罪と、殺すことの罪は、どちらが深いのだろう。
善と悪。正気と狂気。優しさと無関心。
言わばコインの裏表。あるいは、両表。
「もう終わり。この話は」
私は言う。セッツァーは何も言わなかった。
このまま立ち去るのも、なんだか口惜しい気がしたから、彼の方を見て言ってみる。
「あなたの話してよ」
セッツァーは猫みたいな目を一瞬丸くして、口許をにやりとさせた。
「何が聞きたい?」
「なんで協力してくれるの?」
「言っただろ?」
「そんな大義名分で動く人だと思えない」
「面白そうだなと思ったのは本音だ。帝国相手に一線とはね、無謀なことだが。個々人も色々といわくつきらしいし、退屈せずに済みそうだからな」
最後が余計。趣味が悪いんだからと思ったけど、口には出さないでおく。いっそもっと他人に無関心な人なら良かったのに。でもそうしたら、はなから協力には応じてくれなかったかもしれない。
「他には?」
手に一本持ったままの煙草の柄を、とんとんとカウンターに軽く打ち付けながら、セッツァーが訊く。もっと訊いてほしいみたいに。
「あなただったら、言う?」
私は一瞬躊躇った。そう自覚した時には、既に言葉は口から出ていた。
馬鹿だな。自分で話を戻してどうするんだろう。
少し間を置いてから、セッツァーは言う。
「俺の親友のあいつだったら、俺に言っただろうな」
「答えてない」
「よく聞いてるな」
「言った、って言った」
「よく聞き過ぎだな」
また、一瞬の隙間ができた、それから彼は、
「死んだよ」
さっき見せた、憂うような顔で言った。
「ごめんなさい」
「謝ることじゃない」
「もうひとつ、教えて」
彼は黙って、どうぞ、と言うように首を傾げた。
「あなただったら、しないんでしょ。つまり、ロックの立場だったら」
「しないね」
聞きたいのはその理由。純粋に、この人がどんな理由を持っているのか知りたい。
「なんで?」
「仮にそんな秘宝が存在するとしてもだ」
一拍置いて、セッツァーは続ける。
「俺の親友はそんな器の小さい女じゃないって知ってるからさ」
「親友って…」
私は眉を顰める。
「恋人だったの?」
セッツァーは答えない。
「死んだの…」
考えるよりも先に、言葉は口から零れていた。
「ごめんなさい」
「あんたは何も悪くない。その女のこともだ、」
見ると、セッツァーはこちらを見据えている。
「あんたは帝国の権化でもなんでもない。あんたが負い目を感じることじゃない」
また、胸の中が鈍く痛む。でも今度のは、この人の言葉からくるものじゃない。
「……そう思えるようになるのは、たぶんまだ先」
「あんたは自分で帝国を捨てたんだろ。過去にしたんだよ」
「…善処してみる」
セッツァー口許で小さく微笑んで見せて、今度こそ煙草に火を点けた。
「ほんと、おせっかい」
「ほんとって何だ」
「こっちの話」
セッツァーは不満げに眉を寄せたけれど、それ以上は何も言わなかった。それから、細く長く煙を吐いた。
煙草の煙って、ほんとに紫に見えるんだ。
なぜかそんなことを思った。