フラクタル




 通された部屋はあらかじめ暖房で温められていて、深く息を吸い込むと、部屋にかすかに残る木の匂いを感じて、ティファをどこか懐かしい気分にさせた。

「可愛いお部屋」

 暖色でまとめられた家具やカーテンを見渡しながら、ティファが言う。ソファの横のサイドテーブルには、深みのある赤のポインセチアの鉢が置かれている。

「そうだな」

 クラウドは反射的に答えてるだけだろうな、とティファは思ったが……またそれは間違いではなかったが……ティファは特にコメントはしなかった。

 ソファの向こう側の窓まで歩いていって、外を眺める。ちょうど町の中央にあたる広場を臨んでいて、子供たちが遊んだり、ベンチで老人たちが談笑したり、大人が屋根の雪をおろしたりしている姿が見える。この日雪は降っておらず、高く昇った太陽が真っ白に覆われた町を眩しく見下ろしている。

 広場の真ん中にある円形の噴水は勿論水は抜かれていて、代わりに遠目でもわかるさらさらとした雪が陽光を反射してきらきらと光っている。

「明るいうちに、行ってきちゃっていいかな?」

 ベッドの端に腰掛けているクラウドの方に向き直ってティファが訊く。

 エッジから北北西に進み、峠を越えた半島に位置するこの町に辿り着くまで、車で五時間ほどかかった。北の大陸にあるアイシクルロッジのように常冬ではなく、四季に恵まれているものの、湖を臨んでいるこの土地は、北からの冷たい風と湖水の影響で冬の降雪量は彼の地に劣らないそうだ。

 ひと月ほど前、セブンスヘブンの常連客の一人が、この町でワイナリーを営む友人夫婦から贈られたというワインを一本店に持ってきてくれたことがあった。氷結した葡萄から造るという珍しいワインはこの町の特産で、凝縮された甘みと芳醇な香りをティファはすっかり気に入り、店に置けないかと相談した。その客は嬉々として友人夫婦に連絡を取ってくれ、彼らもまたすっかり気をよくし、是非一度ワイナリーに訪ねて来ないか、という話になった。

 それならば車を借りて一緒に行こうとクラウドが申し出たので、二人の休みを合わせつつ、ちょうどエッジに来る用があるというバレットが、子供たちは見てるからたまに泊まりでゆっくりしてこいと後押ししてくれたので、留守を預けることにし日程を決めた。食事は温めて食べられるものを沢山作って冷凍してきたので、心配ないだろう。店は丸二日休業だが、美味しいワインを仕入れてくるのだから、常連客たちも納得してくれるだろう。

 今日世話になるこの宿も、その夫婦が手配してくれた。暖かみのある雰囲気を、ティファは早くも気に入っていた。

「ああ。行こう」

 ベッドから腰を上げ、クラウドが答える。


 宿からワイナリーまではそう遠くないので、歩いて行くことにした。ブーツで雪を踏む度にぎゅっという音がして、こんな風に雪の上を歩くのは久し振り、とティファは思う。

 足元や木々、家々の屋根や塀に降り積もった雪の照り返しで、晴れた冬の昼間は真夏よりもずっと眩しい。

 さっき上から眺めていた噴水のそばで、姉弟だろうか、赤いコートを着た五歳くらいの女の子と、濃いグリーンのコートを着た二歳くらいの男の子が楽しそうに声を上げて遊んでいる。柊の緑の葉と赤い実のようだ、とティファは思った。

 白い雪を手ですくっては放ち、きらきらと雪を降らせて走り回っているうちに、男の子のほうがうつ伏せに転んで、あ、とティファは小さく声を上げる。だけど一人で起き上がったその子は、顔を真っ白にしながら笑っていて、杞憂だった、とティファはほっとする。あとでデンゼルとマリンに電話をしておかなくちゃ、と心のメモに書き留める。

 子供たちの姿に見入って歩くのが遅れていたティファの手をクラウドが握って引いてくる。

 少し先を歩くクラウドをティファは見つめる。焦げ茶色のダウンジャケットにマフラーという、細身の彼がこうしてもこもこと着込んだ姿を、何か微笑ましく可愛いと思っていることは秘密だ。

 彼に伝えれば照れた顔をそらしながら呆れて肩を竦めるだろうし、他の人に言えば惚れた欲目だとか言われるのがオチだろう。だけど、惚れた相手の「可愛いところ」を見つけていくのは、何てばかばかしくて愛おしい作業だろう、とティファは思う。傍目には無愛想に映るらしい自分のパートナーのことなら尚更。


 ワイナリーに着くと、樽のように丸々とした大柄な身体に口髭をたくわえた主人と、小柄で引き締まった身体に少年の様な短い髪のはきはきとした婦人が迎えてくれた。外見は対照的な二人だったが、二人とも必ず上の歯を八本覗かせて笑う表情がよく似てる、とティファは思った。

 早速ワイナリーの中を案内してもらい、件のワインの他にも様々な種類のワインをテイスティングさせてくれた。赤が好みのティファが一種類、赤より白を好んで飲むクラウドが一種類ずつセレクトして、合計四ケースを買い込み、明日改めて車で引き取りに来る算段となった。常連客や彼らの熱心な宣伝が功を奏して店は繁盛しているため、剛胆に買い込むことが出来るのだ。

 婦人が出してくれた薫製のチーズを肴にワインを飲みながら、今後の納品などの商談の他に、曾祖父の代から続くワイナリーの話、ティファの店の話、クラウドの商売の話、昔自分もバイクに乗っていたという主人の話などをした。クラウドは決しておしゃべりな質ではないが、興味のある話を振られると饒舌になる。熱心に語り合う男たちを見て、女たちは目配せをして笑い合う。そうやって打ち解けているうちに、外はすっかり日が暮れていた。


 宿の一階にある広い食堂は、宿泊客以外でも利用可能なレストランになっていて、住人たちの憩いの場らしく、賑わっていた。

 いくらでもおかわり出来るというパンは二軒隣のベーカリーのもの、前菜に出された厚切りのベーコンはそのまた先の総菜屋の自家製のものだと、宿の婦人が笑顔で説明してくれた。勿論出されるワインはあの夫婦のものだ。

 新しい皿が運ばれてくる度、「これ、うちのお店でも出せそう」とか「これは黒ビールに合いそう」とか「これ、あとでレシピ教えてもらおう」などと言うティファを見て、

「職業病だな」

 とクラウドは笑った。ティファはきょとんとした。

「そうかな?」

 つられて少し笑いながら訊くと、パイ包みのシチューをつつきながら、クラウドが頷く。

 言われるまで考えたことはなかったが、店のメニューを思案するのは苦ではなくむしろ楽しいし、なんだかんだで自分には天職なのかもしれない、とティファは思った。それに、店のメニューになるものは、まず誰よりも先にクラウドやデンゼル、マリンが食べることになるのだ。自分の作ったものが、愛する誰かの糧になるという感覚は、なんだか誇らしかった。そして、店で食事をする人たちが、それを糧にしてそれぞれの生活を生き、さらにそういう人たちが集まって世界が出来ているのだと思うと、不思議な気分になった。

 食堂を見渡しながらティファは思う。それぞれに得意なものを提供して、それを町の人が食べたり飲んだりして、客人も暖かく迎えてくれるこの食堂は、まるでこの町そのものだ。エッジは人口が多いし色々な人がいるから全く同じとはいかなくても、大きな街のほんの小さな一角に、自分もそういう場所を作れてたらいい。

 来て良かったな、とティファは思った。


 部屋に戻り入浴を済ませると、ティファは忘れないうちに子供たちに電話をした。あちらもちょうど食事と入浴を済ませ、今日はベッドを二つくっつけて三人で一緒に寝るのだそうだ。おやすみを言った後、ティファはカーテンを少し開けて窓の外を見た。二重窓の向こう側では雪が斜めに降っていて、何粒もの雪の結晶が窓に触れた途端に消えていく。その向こうに街灯のオレンジの灯と家々の窓の灯が見える。

 バスルームからクラウドが出てくると、ティファはカーテンを閉じて振り向く。

「外、吹雪いてきたね」

 ソファに腰掛けたクラウドの隣に、膝を抱えるようにしてティファも身体を落ち着けた。

「寒い?」

 クラウドが訊ねるが、ティファは首を横に振る。そのまま頭をクラウドの肩に預ける。その頭をクラウドが軽く撫で、手をずらしてティファの膝に触れる。

「運転疲れたでしょ」

 途中休憩を挟んだものの、エッジからの道中をクラウドがずっと運転してきたのだった。

「いや、そうでもない」

「代わっても良かったのに」

「酔うってわかってるだろ?それに運転は嫌いじゃないから、いいんだ」

 言い終わるとクラウドは膝に触れていた手を、肩にまわしてくる。応えるように、ティファはクラウドの肩にもたせた頭の角度を深くする。

「なあ」

「なあに?」

「そろそろ、うちを改装してみないか」

 予期していなかった言葉に、ティファは顔を上げてクラウドを窺う。

「改装?」

「二階をさ。リビングを作って、みんなで寛げる部屋があるといいだろ」

 ティファは少し思案した。そういえば、二階には子供部屋と事務所と寝室があるくらいで、みんなで寛ぐと言えば店の中と決まっていた。勿論店も落ち着くけれど、言わば「公」の場でもあるので、家族だけのスペースを持つことは、素敵な考えに思われた。

「そうね、いいかも」

 ティファが賛意を示すと、クラウドが微笑みで返す。

「こういう風に、ソファを置いて。いろいろ、便利だろ」

「いろいろ?」

 ティファが首を傾げると、答えるかわりに、クラウドは顔を近付けてくる。ティファはその目が少し悪戯に光っているのに気が付いた。そしてもう少しこういうやりとりを楽しみたくなって、上半身を後ろに引いて逃げる素振りをしてみる。

「いろいろって?」

 その反応に、クラウドは少し不満げに眉を顰めたが、すぐにまた口許に笑みを浮かべた。

「…昼寝とか」

 クラウドはティファの唇を捕らえると、そのまま自分の身体ごとティファをソファに寝かせた。

 それからは二人とも何も喋らなかった。既にドライヤーで乾かしてあったクラウドの髪が、ふわふわと柔らかくティファの顔や首筋を撫でていく。雪に降られているみたいにくすぐったいと思いながら、ティファは目を閉じた。











(2011/10/12)


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