Flash on my soul





 濡れた髪をタオルで拭きながら、クラウドを待つ。

 今日替えたばかりのシーツとカバー。ベッドサイドに置かれたどちらのものとも言えない小物類や、飲みかけのマグカップ。

 同じ部屋で眠る日常は、マリンの独立宣言によって始まった。

 ──今日からひとりで寝るからね。

 バレットがエッジを発った日、その日は店を休みにした。三人で夕食を食べて、他愛のない話をして、いつものようにマリンと私で一緒にお風呂を済ませて、栗色の髪が絡まないように気をつけながらその小さな頭をタオルで拭いている時だった。私は思わず手を止めた。

 私には唐突に響いたけれど、もしかしたらマリンの中では、バレットが出て行くと知った時に既に決まっていたのではないかと、後になって思った。

 その時私はなんと答えたのだっけ。それは伺いではなく宣言だったから、

 ──そうなの?

 とか、半ば呆けたような言葉だったと思う。今日は雨が降るんだって、と言われて、そうなんだ、と答えるような、そのくらいの質感の。

 ──うん、だからティファは、今日からそっち。

 指し示されたそっちの方向にあるクラウドが寝室にしていた部屋を、私は目で追った。

 そうこうしてマリンが私の分のスペースを空けずに眠ってしまうと、有無を言わさず渡された枕を持って、私はそうする他なくクラウドの部屋に行った。

 ──マリンに、追い出されちゃった。

 ──え?

 ──今日からひとりで寝るから、私はこっちだって。

 クラウドはぽかんとしたように何度か瞬きをした。

 私は枕を両手で抱えて、悪い夢を見て夜中に両親の部屋に忍び込む小さな子どものようだったのではないかと思う。そんな自分がなんだか滑稽で、おそらくそれは彼にも伝わって、二人で同時に笑ってしまった。

 彼と夜を過ごすことは初めてではなかったけれど、その時は久しぶりだったのと、突然の状況の変化も手伝ってか、妙に照れくさかったことを覚えている。

 そうやってひとつの枕から始まり、徐々に私たちの部屋には、ものが増えたり減ったり、配置が動いたりして、とりあえず現状の姿に落ち着いた。同じようにマリンの部屋もまた、少しずつ彼女だけの空間を築き始めていた。

 それでも、眠りに落ちる時は今でも私の腕の中と決まっている。

 マリンの寝支度の手伝いは私の担当で、歯磨きやお風呂を済ませて、膝に乗せて濡れた髪を乾かしていると、いつも決まって眠ってしまう。

 それから起こさないようにそっとベッドに運んで──この役目は時々クラウドに交替することもある──規則正しい寝息を確かめて、そっとドアを閉める。

 日々のリズムであり、いとおしい儀式でもある。

 マリンの利発な言動にはたまにぎょっとさせられるくらいだけれど、それとは裏腹な子どもらしさに頬が緩む。彼女なりに気張っているのかな、と考えては申し訳ない気持ちになることも少なくはない。だから甘えを見せてくれることに安堵して、大げさではなく涙が出そうになってしまう。これもいつまでも続かないんだな、と思えばなおのこと。

 マリンがいつか大人になって子ども時代を振り返るとき、愛しい子ども部屋としてそこを思い出すんだろうか。



 同じようにタオルで髪を拭いながらクラウドがそっと部屋に入ってくる。

「ごめん、ほんとに」

「いいって」

 先にマリンと入浴を済ませたとき、貯湯タンクを空にしてしまった。毎日バスタブを貯めるともたないので数日に一度だけで、あとはシャワーで済ませることにしている。この急拵えの街の電気の供給はまだ不安定だけれど、不便なりにもルーティンができてくると、どうにかなるものだ。が、今日は少し使いすぎてしまった。

「寒いよね」

 冷たいシャワーを浴びる羽目になった彼に申し訳ない。ただでさえ色素の薄い彼がさらに寒々として見えるのは、気のせいではないはず。

 クラウドは答えずに、私の手をとって彼の頬に運んだ。薄い金髪に触れた指先に湿り気を感じた。

 それから私のものに重なった彼の唇の冷たさを認識したのは一瞬だけで、熱さがとって代わるのに時間はかからなかった。彼の手がTシャツの中に差し入れられると、そこから波紋みたいに震えが全身に広がる。唇まで届くと、それを抑えこもうとするように彼のキスが深くなる。

 彼に肌を晒すことに、もはや羞恥もためらいも感じない。他の誰にも見せない姿を投げ出すと、ほんとうの自分ってなんなんだろうか、そんなものはあるんだろうかと思う。心の奥底まで暴いてほしい。もはや私自身よりも私のことを知っているのは彼なのかもしれないと思うから。

 身体の感覚はどんどん敏感になるのに、頭の中は逆走するように遅く鈍くなっていく。暗闇で淡く光る私を見つめる目と、私に触れてくる感触の全てが、思考も記憶も全部奪って、無意識に漏れた彼の名前以外、私にとって何の意味も成さない。



「変な感じ」

 これって。

 クラウドは黙っている。

 汗でしっとりとした誰かの肌の感触が気持ちいいなんて、よく考えれば普通じゃない。

 色んなことがあたりまえになっていく。

 それでも何気ない瞬間にふと、罪の意識はやってくる。

 だけどそれ自体もまた必要な流れなのかもしれない。忘れないための。あたりまえのことが、そうじゃなくなることもまた、逃げようのない真理なのだから。

 私の肩を撫でていた彼の指が止まる。

「ごめん、眠い?」

 彼の手が今度は髪に触れてくる。まだ生乾きだ。

「いいよ」

「生きてるのって不思議だね」

 当然なのだけれど、人には冷たい印象を持たれがちな彼にも、触れると温かい体温があって、血液が流れていて、この胸の下には心臓が絶えず脈打っていること。

 そんな身体の壮大な営みを意識することもなく、毎日を、時に漫然と過ごしていくこと。

「ティファ」

「違うの、聞いて」

 私は上半身を起こして、仰向けのクラウドを見る。

「死んでも不思議じゃないタイミング、たくさんあったよね」

 ライフストリームの色をした目は、彼と再会した頃は少し怖かったけれど、もう慣れ親しんだものになっていた。

「でも、生きてた」

「うん」

 彼の心臓のあるところに手で触れる。

「変な言い方だけど、クラウド、しぶといね」

「ティファもだろ」

 同時に笑う。

 私も彼の横に並んで仰向けになる。視線がわずかにこちらに向けられるのを、視界の隅で見る。

「だから、余計なこと考えてないで、生きてきなさいってことだよね」

「でも、やっぱり考えちゃう時もあるの」

「時間、かかるかも」

 彼の方に顔を向ける。彼の口許が僅かに微笑んでいる。

「いいよ」

 穏やかな彼の表情が好きだ。好きという言葉では足りないくらいに。

 それきり二人とも喋らなかった。クラウドは私の身体を引き寄せると、頭を胸に包み込むようにして、それから静かな寝息だけが夜の部屋に満ちた。

 人の肌にこんなに安心するのは、きっと生き物の細胞に組み込まれた仕組みなのだ。子どもも大人も関係なく、自然に瞼が重くなって、全てを預けて眠りたくなる。

 世界中のたくさんいる人たちの中で、たった二人だけでいい。私がそういう存在になれるなら、それだけで生きる理由として十分なのかもしれない。

 自分の存在理由を誰かに委ねるのは不安なことだけれど、それでもそうやって生きていくしか、たぶんできないのだ。







彼女たちの世界の時系列でいくと、最新の彼らの姿は盤石なものだと思うので、この頃のティファを書くのは逆行でもあるのだけど、でも少しずつティファが強く逞しくなる過程はとても人間らしくていとおしいです。

個人でも、誰かとのかかわりのなかでも、生きてればいいときも悪いときもありますね。

人間らしい二人が好きです、とっても。

(2019/01/26)



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