たそがれ
二人を見ていて、最近思うことがある。
まずデンゼル。
この前お酒の納品があって、重いケースを運ぼうとしていた時だった。
「ティファ、持つよ」
いつの間にかそばにいたデンゼルがそう言うより早いか、横からさらっていってしまった。
私は少し呆気にとられて、ようやくありがとう、と言うと、デンゼルは、ん、とか短く返事をするだけだった。
ケースを運んでくれる腕を眺めていると、感じが、変わってきたな、と思った。相変わらず細いけれど、女の子のそれとは違う、肘に向かうラインの皮膚の下にしっかりした筋が見てとれる。そういえばクラウドの腕も細いけれど、私の腕とは違う筋肉がついていることを思い出す。
それからマリン。
この前風邪を引いたときに、マリンは自分で体温計で熱を測っていた。
熱っぽい顔をして朝起き出してきた時、以前なら私の膝に抱いて熱を測ってあげていたのに。今はもう、抱っこの必要はなくなった。むしろ、嫌がられるかもしれない。
子供の頃、飲めなかった粉薬を包んだオブラートを思い出した。いつからだろう、オブラートがいらなくなったのは。
そのうちデンゼルもマリンも、包みこむものを必要としなくなるんだな。
開店前のキッチンのカウンターで、ぼんやりそんなことを考えていると、
「何ふけってるの?」
とマリンが顔を覗き込んでくる。
ふけってる、なんて言葉、いつから使うようになったんだろう。
その疑問は置いておくことして、あなたたちのこと考えてたんだよ、と言うかわりに私は、
「なんでもないよ」
と答えてわらった。
「だったらいいけど」
マリンはそう言うと笑顔を返す。結った後髪を余韻を残すようになびかせて、お店の準備に戻っていく。その後姿を見ていて、首が細く、長くなったなあ、と私は思う。
「何ふけってるんだ?
店じまいを終えてシンクに立っている時だった。カウンターで夕食をとっていたクラウドが訊く。
「なんでもないよ」
私はやっぱりわらって答える。
「ティファが最近たそがれてるってマリンが言ってた」
「たそがれてる…」
その言葉の響きに、文字通り夕暮れから夜に変わる空を私は思い浮かべた。それは私が使ったことのない言い方だったけれど、意味するところは想像できた。
「どこでそんな言葉覚えたのかな」
「ティファじゃないのか?」
「……」
もしかしたら二人の間にはもう、あるいはデンゼルはデンゼルの友達同士の間、マリンはマリンの友達同士の間には、大人の前では使わない秘密の語彙がきっとあるのだ。言葉を覚えていくのに、必ずしも大人は必要なくなるのだ。
子供から大人になることは、何かが増えていくことと、減っていくこと、どちらでもあるんだな、きっと。
大人はそんな様子を前に、寂しさといとおしさを覚えるのだ。
それはまるで、人が黄昏時に感じる不思議な哀愁のような気持に似ている。
そういう寂しさを感じている私もまた、大人になったのだと知った、ある日の夜。