醸される夢




 時計を見ると深夜の十二時を過ぎていた。店に客はおらず、外の街の人々の往来の音が微かに壁をすり抜けて聞こえる以外は、しんとしていた。

 キッチンを出ながら、ティファは一日の疲れをほぐすように両腕の肘を曲げて肩の後ろに伸ばした。溜息吐き、上の階に向かおうと歩きながら時計にもう一度目をやり、今日が何月何日かを思い、はっとした。

 どうして、何年も考えていなかったことが、こういう風にふと意識の表面の浮上するのだろう。忘却の靄みたいなものがいつも漂っていて、何かのきっかけでふと、雲の隙間のように空間が開いて、そこに隠されていた記憶が揺り起こされ呼びかけてくるのだろうか。

 もう一度カウンターの中に戻り、半ばぼうっとしながら棚に並ぶ酒瓶を見渡した。適当に蒸留酒の瓶と、グラスをひとつ手に取ったところで、考えた。飲みたい気分なわけではない。だけど、このまま眠れる気がしなかったので、何か手慰みがほしいと思った。

 店の入り口の方から、こつんと足音がした。ティファは視線を向けた。気配はわかる。誰だろう、と訝ったが、害意がないことは即座にわかったので、ティファは歩み寄ってドアを開けた。

「ヴィンセント」

 ドアの先に立っていた人物は、横顔を少しだけティファの方に向けた。ティファは意外な来訪者に目を見開いたが、すぐに目尻を下げて言った。

「無事で良かった」

「心配だったわけでもないだろう」

 ティファは笑った。

「実はね。大丈夫に決まってるって思ってた」

「一人か」

 店内に目をやりながらヴィンセントは言った。

 ティファは少し肩を竦め、それからちらりと肩越しに店の中を一瞥しながら、

「もう時間も時間だし」

 そういう気分の時もあるし。と心の中で言い足したが、声にはしなかった。それから「少し飲む?」と訊いた。

「子どもたちも、クラウドももう寝てるから、良ければ外で」

 ヴィンセントは頷くと、踵を返して店の前のバルコニーの階段に腰を下ろした。その姿を確認すると、ティファは二人分の酒をグラスに用意しに店内に戻った。それからヴィンセントに倣い腰掛けた。

 雲ひとつない夜空、というような御膳立てはなかった。薄曇りのなんとなくやる気のない白とグレーのグラデーションの雲が、濃紺の空をガーゼのように覆っていた。その下に広がるいつもの日常、いつもの夜の街並が広がっていた。

「お疲れ様」

 グラスを掲げてティファは言う。ヴィンセントはまた頷いて、グラスに口をつけた。

「すごいお土産話とかある?」

「期待しているようなものは、ないな」

 そっか。とティファは笑った。

 それからしばらく、夜の静かさと賑やかさを滲ませる街並を物言わず眺めた。

「最近いろんなこと思い出すんだ。なんでだろう」

 ティファはそっと言った。夜の空気の中に、そのまま溶けていくような小さな呟きだった。

「思い出す余裕ができた、ということかもしれない」

 ヴィンセントが、ティファと同じく独り言のように呟いた。

 なるほど。ティファは呟いて、一口酒を含んだ。そうかもしれない。

「母親が死んじゃった日だなって、急に思い出したの」

 ゆっくりと飲み下してから言った。それからグラスを横に置いた。ヴィンセントは何も言わなかった。

「なんで自分じゃなかったんだろうって、考えたことある?」

「嘘を吐いても仕方がない。ある」

 ヴィンセントは一瞬間を置いて答えた。

 うん、とティファは頷いた。

「私もある。何回も」

「死ぬのは自分で良かったんじゃないかって。生きてほしかったのと、正直に言うと、何割かは、生きてるのしんどい瞬間があって、昔」

「恥じることじゃない」

「ありがとう」

「ママが死んだ時にね、ニブルの山に行ったの。死んじゃった人は山の向こうに行くんだって言われてたから」

 あの日はどんな日だったろう。晴れていたのか。曇っていたのか。湿気が多かったのか。乾いていたのか。どんな匂いがしたのか。そういうことは、何故か何も思い出せなかった。

「会ってお話したかったのかな。連れて行ってほしかったのかな。なんだったんだろう」

 その時の幼い自分が、どんな願いを抱えていたのかはわからない。ただ、今それなりの大人になって思い返してみれば、理由なんかはどうでも良くて、とにかく会える希望があるのならばそれに縋っただけなのだろう。

「一回だけ父親に言ったことがあって。ママのところに行きたいって。すごく悲しそうで、多分泣いてた。震えてた。言っちゃいけないことを言っちゃったんだって思った。忘れられなくて、それ以来、絶対言わないって決めたの。パパを一人にしちゃだめだって」

 そのパパも逝ってしまった。村の人たちが、たくさん殺された。遠因であれ近因であれ、アバランチの活動で、たくさんの人が死んでしまった。エアリスも。ザックスも。

「死んだのがもし私だったからって、何かが大きく変わったわけじゃないと思うんだ」

 ティファは自分の中から立ち昇る思いを、慎重に言葉にしながら口にした。

「でも、死んじゃった人たちのこと、そういう運命だったんだって、納得したくない。だからって誰が死んでもいいって言いたいわけじゃない。言い方、難しいよね」

「言いたいことはわかる」

「ありがとう」

 優しいね。ティファは思ったが、言葉にするのはやめておいた。

「だって、絶対誰かは悲しむんだから」

 ヴィンセントが頷くのを、ティファは視界の隅で見てとった。

 そういう悲しみを引き受けて生きていくのが、自分にできることなのだと、ティファは思った。その思いを頭の中で言語化した時、何かが醸されたように、言葉の殻から抜け出し、夢のように胸に浮かび上がった。それは掴みどころのない何かだけれど、不思議な確かさと手触りを、ティファは感じた。

「クラウドに話せ」

 素っ気なくヴィンセントは言ったが、少し笑っていた。

「クラウドに言ったらきっと、泣きそうな困った顔するから言えないんだ」

 まあ、いつか、そのうちね。ティファは呟きながらグラスの残りを飲み干した。

 いつもとかわりばえのない一日が、面白くならないかな、と無邪気に願った頃があった。いつもと違うということが、楽しいことも喜びも、辛いことも悲しみも意味し得るのだと、今はもうわかっている。

「生きていて良かったと思う瞬間もあるだろう」

 低い声で紡がれた言葉は、優しくティファの耳に響いた。

「うん、たくさんある」

 それが素直に嬉しかったので、ティファは笑って答えた。

「…意外」

 空を見れば、さっきまであった薄雲がどこかに流れて、控えめだけれども星が光るのが見えた。空自体が涙を流しているような、はかない光の粒の輝きが、悲しみも喜びもすべてを抱いた、束の間の夢のように見えた。それがたまらなく美しかったので、ティファはしばらく上を眺めた。







時間軸は厳密に決めてないですがDC終わってヴィンセント行方不明からの帰還後あたりをご想像いただければ! 似たような状況・台詞で過去に既に書いてるので若干チートですがご容赦ください。多分こういうテーマが好きなんですね。

これはじめはティファの話し相手はクラウドにしようと思ってたんだけど変えました。その時に感じていたこと、思っていたことを全部リアタイで伝えなくても、あの時実はああいう風に思ってた、そうだったんだ、みたいなことを繰り返すことも、人と人との関係を築いていくことだと思っています。

ヴィンセントは寄り添い過ぎない、いい意味で無責任な立ち位置で話を聞いてくれそうで、意外と必要でありがたい存在じゃないかなあと思います。

もうこれはほとんど言いがかりでしかないんですけど、私は運命という言葉とか概念が割とアレルギー的に好きじゃなくて、そのワード連呼だったリメイクへの精いっぱいの抵抗ですw 一旦気が済んだので気長に続きを待ちたいです。ヴィンセントやユフィやシドに早く会いたいな!

(2020/05/10)



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