現世で、また
瞑想する者。
酒を呑む者。
早々に船を漕ぎ始めた者。
緊張、あるいは興奮で目が冴えている者。
ロックはといえば、自分でも不思議な程穏やかな気分だったのだが、同時に易々とは眠れそうもない気がしていた。
もしかしたら、現世で過ごす最後の夜になるかもしれない。
この船にいる誰の胸にも、程度の差はあれ、その思いはあった。無論、彼にも。
その彼が、最後のかもしれない夜を共に過ごしたい相手もまた、無論、決まっていた。
約束の時間通りにそこに向かうと、セリスは自室の前に立っていた。
船室の外がすぐデッキになっていて、その眼前には果てのない暗がり。停泊した飛空艇を包む空に、星はない。
通路に等間隔に備え付けられた照明が、闇の中に彼女の端正な横顔を浮かばせていた。
立ち姿が綺麗だな、とロックはいつも思っていた。
敵を見据え剣を構える時も、オペラを演じ上げた時も、寄る辺なく夜空の下に佇む時も、いつでもその細い身体の中心に、強固でだけどしなやかな針金のような軸が真っ直ぐに通っているようだった。
それは彼に憧憬と、少しの畏怖さえ感じさせるものだった。
ロックに気付くと、セリスは微かに笑った。
夜風にふわふわと舞う柔らかい髪ごと包むように、ロックは背中から彼女を抱いた。触れている肌の温もりとその香りに、心が安らいでいくのがわかった。
してみれば、やっぱりどこか不安だったのかな、とロックは自問した。
死ぬかもしれないこと。自分が、あるいは彼女が。
そんなことはさせない。自分の命を投げうってでも、この人だけは生きて帰す。
誇張ではなく、ロックにはその覚悟があった。
そして願わくは、仲間の誰一人欠けることなく、帰ってくることを。
無意識に、彼女に回した腕に力を込めていた。
「死ぬ覚悟はできてた、いつでも」
口にしたのはセリスだった。
ロックは顔を上げてその表情を見遣る。彼が誰よりもよく知っている、意思の強い青い目は、平常でいて、だけど不安気だった。
「レオ将軍がね、」
ロックの腕に添えられていたセリスの手が、少しだけ強く握った。
ロックは黙って聞いていた。
「守るものができると強くなるんだって言った」
一息吐くと、さらに続けた。
「その時、わからなかった」
「何を守りたいのか、知らなかったから」
「今はある」
セリスの言葉は静かだったけれど、力強かった。先程のぞかせた不安な表情は、もうその目にはなかった。
「俺?」
ロックはわざと茶化してそう言った。
鳶色の瞳は、子供の無邪気さと、深い愛情で輝いていた。
セリスは呆れたように口許を緩めた。
「自分で言わないで」
微笑いながらロックが彼女の目の横に唇を寄せると、整った顔が柔らかく綻んだ。
「今も思ってる?」
誂えたようにぴったりと合う彼女の首と肩の隙間に自分の顎をあずけると、ロックが訊く。
セリスは視線で何を、と問う。
「死ぬ覚悟って」
セリスは首を傾げて、少し考えてから答えた。
「よくわからないけど、少し違う」
セリスはロックを見つめて続けた。
「生きて帰ってきたいって思う」
その目には、恋する女の刹那的な情熱と、我が子を見つめる母のような悠久の慈悲があった。
ロックには、その言葉も表情も、ただただ愛おしかった。その思いを乗せた唇を、彼女のものに重ねた。
「明日のために寝ないとな」
顔を離すとロックが言った。
セリスは頷いて答える。
「でも眠れそうにないんだ」
セリスが何か言うより先に、ロックはその腰を抱き上げると、船室の扉の奥に消えた。