浅い夢
蝉の鳴く声が容赦ない。
照りつける太陽と同じ色の髪の少年は、自宅の前のベンチに横になった。
(うるさいなあ。)
思いながら目を閉じると、遮断された視覚によって研ぎすまされた聴覚が、命の短い虫たちの声をさらに拾った。
ちょうど日陰になっていないベンチには、光が燦々と降ってきて、晒された肌をじりじりと灼いた。気休めに腕で顔を覆う。今度は腕が熱い。
諦めてこのまま寝てしまおうと思ったところで、肌に感じる熱がにわかにやわらいだことに気付く。
「お昼寝?こんな日向で寝てたら、のぼせちゃうわよ」
目を開く前に、声が降ってきた。
慌てて目を開けると、女の人が自分の顔を覗き込んでいる。さした日傘で顔は翳っている。
「入らないの?」
少年の家の扉に目配せをして、その人は訊く。
「鍵、忘れちゃって」
身体を起こしてベンチに座り直しながら答える。
「良かったら、うちで待つ?ティファもいるわよ」
女性は、今度はその隣の家に視線を遣って、首を傾げた。
「いや、いいんです」
彼は慌てて首を振る。
「たぶんもうすぐ帰ってくるし」
それだけ言うと彼は口を噤んで、目を伏せた。
「そう」
それだけ言うと彼女は、日傘を二人の上に翳したまま少年の隣に腰掛けた。
何を話したらいいかわからないまま、彼は地面から少し浮いた両足が揺れないように力を込めた。隣に座る人は、あいている手で顔を扇いでいる。
しばらくそうしていると女性が、手を伸ばして言った。
「色が白いのね」
あなたの方が白いです、そう考えるがはやいか、指が頬に触れて、彼はにわかに驚いた。こんな風に自分に触れたことがある人は、覚えている限り母親以外で初めてだったからだ。
見上げる先にある青白い肌に浮かぶ二つの目は、柔らかい暖炉の炎みたいな色だと、彼は感じた。
「火傷みたくならないように、日焼け止めは塗ってね」
言われるままに、彼は頷いた。
それに満足したように、その目を穏やかに細めると、女性は指をすっと離した。
「うちの子がよく言うの。あなたみたいな金髪と青い目がうらやましいって。どうしてわたしのはちがうのって」
困っちゃうわ、と女性は微笑う。
ティファみたいな茶色の髪と目の方が、俺はいいと思います。
あと一息で言いかけたところで、
「あ、いらっしゃったわよ」
と女性は立ち上がると、広場を通って近付いてくるもう一人の女性の輪郭に手を振った。
買い物袋をたくさん抱えて歩いてきた彼の母親と、白い日傘のその人は軽く言葉を交わしている。
その様子を見ながら、彼は横目で、ティファという名前の少女の部屋の、広場に面した窓からカーテンが外に滑り出して揺れているのを見た。その瞬間には、蝉の声も、母親たちの交わす声も、彼には届いてこなかった。
さまざまな色を含んだチェックの模様の布が、風で膨らみながら揺れる様子に、それを表す言葉はまだ持っていなかったにせよ、焦がれるような気持ちを覚えたのだ。
「あ、起こした?」
声のしたほうにぼんやりとする意識と視線を向ければ、窓辺でティファがブラインドを閉めたところだった。規則正しい直線の隙間から覗く光から、外はまだ明るいようだ。
「珍しいね、昼寝」
そうだ、休みを持て余した自分は昼寝をしていたのだと、その言葉で理解する。エアコンから吹く涼しい風が肌にあたって、少しずつ感覚が目覚めてくる。
何か懐かしい夢を見ていた気がするけれど、どんなものだったかもう思い出せない。
「ねえ、これ」
言いながら、ティファは紙袋をがさがさいわせて何かを取り出す。
「洗面所に置いておくから、使ってね」
白いチューブに入ったそれを、彼女はこちらに見せてくる。
「日焼け止め。クラウドすぐ赤くなるでしょ」
「ああ」
夢、いや夢じゃない。
あれは記憶だ。
「思い出した」
「何を?」
「いや、いいんだ」
ティファは首を傾げて不思議そうに俺を見たけれど、それ以上何も言わなかった。それからもう一つの窓のブラインドを閉じた。
強い夏の光を遮った室内は、あの日傘の下の穏やかな日陰を思わせた。
「もうちょっと、寝ててもいいよ。マリンがケーキ作るんだって張り切ってる」
いつの間にか取り込んだらしい洗濯物を畳んでクローゼットに収めながら、ティファが言う。その声が心なしか嬉しそうな響きを含んでいて、胸の中が少しこそばゆくなる。
夢の続きの現実は、その間いろいろあったけれど、今は穏やかで幸福だ。
今しがた見たあの記憶の続きは──
そうだ。あの日は自分の誕生日。食材をたくさん買い込んで帰ってきた母さんが、その日ばかりはと自分の好物を食卓に並べてくれた。
何歳の誕生日だっただろうか。考えてみたが、思い出せない。
でも確かなのは、ティファが小さい頃に亡くなった彼女の母親が生きていた時だということだ。鍵になるのはそれだけだ。
「ティファは、ティファのお母さんに似たんだな」
「そうなの?父親似だって人にはよく言われてたけど」
「いや、見た目っていうか」
彼女には唐突に響いただろう。でも、何故か今日この日に、俺はその記憶を夢に見たんだ。隣の家にその人がいた時間の中で、おそらく数えるほどしかない俺とのやり取りを。
「なあ、ティファ」
もう一度呼びかければ、記憶の中の人と同じような穏やかな微笑みで彼女が振り返る。
「やっぱりリクエストしてもいいかな」
「今日の夕食?」
「うん」
「だめ。何でもいいって言ったじゃない。もう買い物行ってきちゃったんだから」
「誕生日でも?」
「誕生日なんだから何でも言ってって、私言いました」
紙袋を手に取って部屋のドアに向かうその表情は、憮然としたようだが少し笑っていた。
まあいいか、と胸の内で苦笑しながら、俺は彼女の言う通りもう少し眠ろうかと目を閉じた。
────何でもいいって一番困るのよ。
そういつも彼女は言う。そういえば、母さんもよく言っていた。ティファは彼女の母親の顔を、どれだけ覚えているんだろう。俺の中で母さんの顔は、どんどん朧になっていく。声や、あの日の香りは、はっきりと思い出せるのに。
あれから何年か後だろうか、誕生日に何が欲しいかと聞かれて、何でもいいと答えた時も、言っていた。
────何でもいいって一番困るのよ。
「ちなみに、何?」
まどろみ始めたところで、ドアの方から彼女が声をかけた。
クラティの誕生日サイト様に投稿させていただきました。当日には間に合わず&予定よりかなり遅くなりましたが…。とにかくクラウドおめでとう!もうちょっと甘めにしようかな〜とも思ったんですが、なんかとってつけたようになっても何なので、ちょっとあっさりめですけど、ご容赦ください!お楽しみいただければ幸いです。
(2014/08/31)