居心地
「ここに来るの久し振りだなー」
あたしは言いながら、椅子の背もたれを支えにして思いっきり伸びをして体を反らす。逆さになった頭で見る反転した世界には、それこそ久々に見るセブンスヘブンの店内。
ここはなんだか居心地がいい。
「落っこちるわよ」
カウンターで隣の椅子に座っているティファに、鼻をつままれる。さっきから鼻腔をくすぐっていた、ジャスミンの甘い独特の香りが一瞬遮断される。
それはティファが飲んでいる、あたしがウータイから持ってきたジャスミンの工芸茶の香りだ。胸の羽毛がふかふかした小鳥の絵が描かれたパッケージに入ったそのお茶にお湯を注いだ時、甘い香りが漂うとともに花弁が開いていく様子を、ティファはうっとりと見つめていた。あたしは実は、なんだかイソギンチャクかなんかみたい、と思っていることは秘密だ。
あたしは何を飲んでいるかというと、ティファが淹れてくれたミルクと砂糖多めのカフェオレだ。自分で持ってきておきながら、こういう花とかハーブって類のお茶は苦手だから。
人の仕事を増やすのは特技のひとつだ。
「バランス感覚と瞬発力には自信あるんだよね」
体を起こしながらあたしは言う。
「知ってる」
ほんとに、知ってるって顔をしながら、ティファが言う。
階段を降りてくる足音がして、くしゃくしゃとしたくせ毛をふわふわと揺らしながらデンゼルが現れる。
「よっ。デンゼル」
あたしは片手を上げて挨拶をする。
「あれ、来てたの」
と澄ましてデンゼル。
来てたのじゃないだろ。今日は泊まるって、ティファに聞いてないはずないだろうに、こいつめ。
「デンゼル、出かけるの?おやつ食べてから行かない?」
「あとで食べる。遊ぶ約束してるんだ。鍵持っていかなくていい?」
「今日はいるわ。気をつけてね」
言いながら、ティファはデンゼルのめくれあがったパーカーのフードを直してやる。
二人のやりとりを見ながら、ふと思う。
年齢を考えればずいぶん若い母親と大きい息子になるけど、不思議なくらい違和感がない。そういえばデンゼルの顔立ちはティファに少し似ていなくもない。どちらかが目の色を変えればますます似通ってきそうだ。親子が無理でも、年の離れた姉と弟、と人に紹介しても誰もが本物だと信じるに違いない。
行ってきまーすと言いながら駆けていくデンゼル。入り口で振り向きざまに、
「ユフィ、僕のおやつまで食べないでね」
と上目で捨て台詞を吐いて、ドアの向こうに消えていく。
あの皮肉屋はクラウド譲りか。余計なところで似なくていいのに。
自慢の瞬発力で追いかけてやろうかと思ったけど、やめておく。かわりに苦々しくため息をつきながら、カフェオレをすする。
「すっかり生意気になっちゃって」
「元気でなによりでしょ?」
ティファの言いように、あたしは肩を竦める。
「親バカなことで」
もう一つため息。ティファは笑っている。
「デンゼル、頑張ったもの」
中空を見つめて言ったティファの横顔が、ティーカップから立ち上る湯気で白く霞んで、少し寂しそうに見えた。
「デンゼルね、七番街のプレートの落下でご両親をなくしたの」
ティファの言葉に、あたしは思わず飲もうとしていたカフェオレから唇を離す。
そんなの、初耳だよ。
「……知らなかった」
我ながら、柄にもなく、抑えた声が漏れる。
「動機はそれなんだ。この子をちゃんと育てるのが、私の償いだって」
そうかも知れないけど……
カップの中で揺れる芳しい液体の水面を見つめながら、なんて返そうか考えあぐねていると、ティファが先に口を開いた。
「でも今は、可愛くて仕方ないの。デンゼルもマリンも。償いとか、関係なく」
そう言ったティファの、いつ見ても年上なのに幼い印象の童顔は、底知れない慈悲、みたいなものに満ちていた。
ふと、あたしの中に、今まで漠然としか存在していなかった言葉が浮かび上がる。
母性。
ティファの表情を説明する言葉は、それ以外には存在しない気がした。
きっとティファは、一度自分の羽に抱いたものは、たとえ自分が傷ついてでも守り抜く、そういう人なんだろうな。抱き込むきっかけはなんであれ。
望む望まないに関係なく、そういうのが、ティファがもともと持ってる素質なんだろうな。才能とか、性分って言ったほうがいいかもしれない。
あたしにはなんて言うか、そういう優しさとか、懐の大きさは、時々不憫に思えるくらいだ。歯痒くて、どうしようもないくらい優しい。
「あ〜あ」
その歯痒さを吐き出すように声を出しながら、あたしはもう一度思いっきり伸びをする。さっきと同じ、逆さになった店内が見える。
「もうさあ、あたしはティファが親鳥に見えるよ」
「とり?」
「そー。親チョコボと三匹の子チョコボ」
あ、鳥だから三羽か。
「それって、クラウドも子チョコボに入ってる?」
むしろあいつが筆頭だよ。あたしは、よっ、と弾みをつけて姿勢を正す。
「当然」
言いながらにやりと笑うと、ティファも可笑しそうに笑った。
よく言うじゃないか、ダンナが一番手のかかる子供ってわけだよ。特にあのクラウドが相手じゃ、ティファはきっと嫌ってほど実感してるんだろうな。
「クラウドに言っちゃおうかな」
「あ、それは勘弁、ほんと。あいつティファの見てないところであたしをいじめるんだからさ〜」
両手をあわせて懇願するあたしを見て、ティファはますます笑った。
「お茶、ごちそうさま。おいしかった」
空になった二つのカップを下げながらティファは立ち上がる。
「ね、晩ご飯何が食べたい?」
「えーとね、カレー!」
ティファの問いに間髪入れずに答えると、ティファはまた声を出して笑った。
「うちの子チョコボさんたちとおんなじ」
笑いを落ち着かせながらティファが言う。
どういうこと?
「あいにく我が家は夕べカレーだったから、却下ね」
「なんだよ〜」
「そうだ、来月誕生日でしょ?また遊びに来て。そしたらユフィの好きなもの作ってあげる」
「じゃあ食べたいものメールするから、盛大に頼むよ」
はいはい、と言いながらカウンターの中に引っ込んでいく後ろ姿は、華奢なのになんだかすごく頼もしい。
ティファにかかれば、結局あたしも子チョコボってわけなんだろうな。
ああ、そっか。ここがなんだか居心地がいいのはきっと、ティファの羽に抱かれてるような気がするからなんだ。