逢魔が刻
そろそろ灯りをつけないと手元が暗くて見えなくなる時間になっていることに気がついて、テーブルで作業に没頭していたティファは顔を上げた。それをしおに立ち上がり、店内を見渡した。
二代目のセブンスヘヴンの開店が、いよいよ明日に迫っている。今しがたまで紙に向き合い時々ペンでこめかみをあたりを押したり腕を組んだりしながら、最後のメニュー調整をしていた。
あとは今食材の調達に出かけているクラウドが、どんな収穫を携えて帰ってきてくれるかによる。今考えられることは全部やった。
大丈夫。
鼓舞するようにひとりごちた。
開けたままにしておいた入り口の扉をノックが聞こえて、ティファは振り向いた。 一瞬眉を顰めたが、夕暮れの中にその影は、記憶の中にある人物と一致した。
ティファは目を見開いて、それから微笑を浮かべた。
「驚き」
ティファが言うと、そのレズリーという若い青年は、口許だけで軽く笑った。
「しばらく」
まだかつてのミッドガルがあった頃、少し縁のあった人物だった。彼は両手に布袋を提げていた。特にティファに問わずにレズリーはそれをバーのカウンターの上に置いて、
「開店祝いと思ってくれ」
と言った。
卵が2ダース、大きな袋に入った塩と砂糖、乾燥豆が2種、香りが漏れ伝わってくるスパイス類が数種、缶詰と瓶詰がいくつか、それから固形燃料。
「ありがとう。すごく助かる」
「役に立つかわからないけど。いらなかったら捨ててくれ」
「まさか」
「材料だけあっても、どうしようもない奴もいるからさ」
「本当に、助かる。誰かに聞いて、来てくれたの?」
「まあね」
ミッドガルの残骸から街が生まれ始めて、エッジと呼ばれるようになり、バレットやクラウドと共にセブンスヘヴンの再興のため動き出す中で、かつてのスラムの知人や友人と再会することもあれば、死んでしまったと聞かされた人、行方が知れないのだと聞かされていた人も多かった。
レズリーとはコルネオとの二度目の対峙、エアリスを助けるため七番街の瓦礫を登って神羅ビルに乗り込む手助けをしてもらった時以来だ。メテオ後の混乱で安否の知れない人々も未だ多い現状を思い、ティファは改めてそのことを口にした。
「それで。良かった、無事で」
レズリーは肩を竦めながら頷いた。
「俺たちはまあまあやってる」
「俺たち?」
「今やってる仕事の仲間。助からなかった奴もいるけど、生きてる奴らでなんとかやってるよ。キリエは知ってる?」
「キリエなら少しだけ知ってる」
「そうか」
それからティファは口を開きかけて躊躇った。いつか彼が話してくれた、探し人のことだ。レズリーは言わんとしていることを察したらしく、
「もう目星はついてる。あと一歩ってところなんだ。うん、きっと見つかる」
「良かった」
ティファは心から微笑んだ。文字通り目に光が灯ったような気がした。
「今度は、離しちゃだめだね」
「ありがとう」
レズリーは少し照れたように、だけど真摯さを感じるトーンで言うと、少し笑った。クラウドもこういう笑い方をするな、とティファは思った。
「今度お礼にご馳走するから、来てね」
ティファは紙袋を指しながら言った。
「礼はいらないよ。あんたたちのお陰で、諦めない気になれたから」
「それは、上に行くの助けてくれたから、もう清算済み。これのお礼は、ちゃんとさせてね」
レズリーは否定も肯定もしなかった。ただ肩を軽く竦めてみせた。
「セブンスヘヴン」
しばらく黙ってから、レズリーは改めてその名前を口にした。それから、
「再開か」
と呟いた。
ふと、ティファは思い当たった。ミッドガルにかつて存在したセブンスヘヴンを、彼が知らないはずはないだろう。
「調べてた?」
レズリーは頷く。ティファも納得済みだったので、うん、と返した。
「迷ったけどね。覚悟決めたところ」
「クラウドたちと?」
「そう。クラウドたち」
ティファは一瞬躊躇った。ああ、そう言えば、彼には伝えていないのだと思ってから、
「エアリスは、死んじゃったの」
と溜息を漏らすように言った。
この言葉を口にすることは、もう何度かしてきたが、いつでも胸の真ん中に冷やりと重くなる。枝先に積もった雪が重みに耐えきれず、地面に落ちる時のように。
小さく息を吸う音が聞こえたが、彼は何も言わなかった。
空が、文字通り落ちてきた。二度も。それでも生きてここにいることの不思議を、ティファはもう何度も考えた。
「出来ること、本当に全部したかなって。迷うことあるんだ。多分きっとこれからも」
「でも、踏み出したんだろ?」
レズリーは親指で、新しいセブンスヘヴンの空間をどこともなく指した。
ティファは自分の新しい家であり店である建物を見渡した。
新しいロゴには羽の模様が描かれている。ここではないどこかへ連れていくものではないことをティファは知っていた。地上に縛りつけられた肉体でも、少しの救いになるように。
空に行くのはまだ早い。この地上でできることを、慎ましくてもひっそりと。
「ささやかな一歩だけどね」
「それができる奴は、そうそういない」
「ありがとう」
街も人も、いや生きものみんなが、あるものは種が設定した時間を長く生き、あるものは押し潰され、焼かれ、斬り裂かれ、道半ばで消えてしまう。それでもまた、新しく生まれる。土台ができ、骨組みができ、呼吸をする。
今までもう何度も、どうしたらいいんだろう、どうしようと考えざるを得ない状況に陥ることはたくさんあった。その度、それが最適解かわからないけど、色んな力に動かされるまま、やってきた。大きな流れにさらわれる形でも。
だから、今度も大丈夫。
うまくいかなかったら、また考えればいい。
クラウドもそう言った。優しい目でティファを見ながら。
「懐かしいな」
「ん?」
「あの時、クラウドとエアリスとあんた。あんなことまでするんだからな」
「え?」
「クラウド。あんたをコルネオのところから助けるために女装までしたんだから」
「あ。あれ、そういうことだったの」
ティファは本音でそう言ったのだが、レズリーは一瞬眉を顰めてティファを見ると、それから吹き出した。
「なんだと思ってたんだよ」
レズリーは笑い続けながら訊いた。
「そんなに笑わなくても。あの時いろんなことが起こりすぎて、考えてる暇なかったんだから」
「ごめん」
レズリーはそう謝ると、宙に向かって呟いた。
「クラウドも大変だな」
「なにそれ」
レズリーは答えずに、深く穿たれた目でティファを見た。じっと見るので、ティファは逸らすことが何故かできなかった。そういえば、彼のことをしっかり思い出すことも、あれ以来のごたごたの中でする余裕がほとんどなかったのだと思い出す。きっとそのことが、彼の視線に応じることをやめられなかった理由かもしれない。
それから彼の方から逸らすと、何か呟いて唇が動いたが、騒音に紛れてティファには聞こえなかった。
「え?」
ティファが発すると同時に、腕を引かれた。気がつくと、二人の間の距離は消えていて、身体が触れ合っていた。
上背があまり変わらないので、顔の位置がほとんど同じで、ティファの視線は彼の肩越しにひらけていた。
レズリーの唇が、自分の耳と頬の間あたりに触れているのを感じた。微かに煙草の匂いがした。その唇が少しだけ下に向かってずれようとしていた。
ティファはぼんやりと目を閉じかけた。蜃気楼みたいに目の前が霞み揺れて、何かと何かの境界線上にいるような、ぼやけて滲んだ感覚に頭がぐらりとした。足が地面から浮いてしまうような、気配がした。
レズリーの身体が離れて、二人の間の空気が目に見えない煙のように生ぬるく立ち昇った。
ティファはレズリーを見つめたが、彼は目を伏せて合わなさかった。交差してしまうことを恐れるように。
お互い何も言わなかった。
名残惜しそうにティファの腕に置かれていたレズリーの左手が、ゆっくりと離れて降りた時、靄が晴れるようにティファの感覚が戻った。夢と現の間の、うっかりしているとふわりと身体を持ち上げられて、あちら側にさらわれそうな気配が消えた。
友人、と言っていいだろう。そういう触れ合いだ。それ以上のことは何もない。
「じゃあ、頑張れよ」
「ありがとう」
何ごともなかったように言い合うと、この不思議な時間が終わりを迎えていることをティファは悟った。
実際、なんでもないのだ。ティファは言い聞かせるように胸の裡で呟いた。
「今度、紹介してね」
「うん」
「店で待ってる」
レズリーは口元で笑って頷くと、踵を返して去っていった。
彼はその後、無事に彼女、マールを見つけ出した。二人の間には子供が生まれて、もう三歳になる。彼の仲間たち、エヴァンやキリエと連れ立って店に集まることもあれば、家族を伴なって来てくれることもある。もう馴染んだ風景だ。
再会を果たし、ひとつの区切りを迎えただろう彼らの先に広がるものは、日常と新しい冒険、きっとその両方なのだろう。
あの時起こったことは、きっと昼から夜の変わり目の不思議な魔力を帯びた時間が見せた、一瞬だけの幻。
なんかふと思いついたので。勢いで書き進めました。私が魔がさしたという感じです。まあこう、種火はそれ以上大きくならなくても、ちょっと小さな爆発が起こる瞬間とかって、人同士の間ではあるじゃないですか。そんな感じで読んでいただけると嬉しいです。
書きたいものは色々あるんですが特にエアリスとティファ!いっぱい温めてます。
(2020/08/16)