風に舞う
セリスが見つめる先で、リボンをほどいたティナの髪が風に舞っている。
いい風が吹いている。潮の匂いが鼻腔に届く。
セリスは、長い髪を手で一つに束ねるようにして押さえつけている。俺の視線を感じたのか、こちらに振り向く。
「ティナは、大丈夫そうね」
「そうだな」
セリスの口ぶりは、同意を求めているというよりは、確信していることを述べているだけという調子だった。
「お前は?」
セリスの力は、ティナのものとも、俺たちのものとも違った。
俺が訊くと、セリスは、
「見ての通り」
そう言って肩を竦めてみせた。整った顔に微笑が浮かんでいる。戦いの疲れを感じさせず、白い肌は陽光を浴びて眩しいくらいだ。
「でも、なくなった瞬間を感じたの。私の手の中の魔石が消えた時、最後の一滴がなくなった気がした」
魔石たちは、俺達の手を離れ宙に浮かぶと砕けるのではなく、水が風に溶けるように消えていった。
それはつい先程起こったばかりの、不思議な光景だった。だけど俺達は、夢の世界の出来事のような光景を、これまで何度も見てきたのだ。
「間違いなく、それが最後だってわかった。それまで走ってる間ずっと、隙間から水が少しずつ零れるみたいにして、魔力が流れていってたんだと思う。その感覚はわからなかったけど、最後だけはわかった」
落ち着いて話す声が耳に心地好い。水の流れる音を聞いているような気分になる。
「何か変わった?」
俺は訊く。
セリスの魔力は、彼女が望んで手に入れたものではなかった。戦いの中で、セリスはその力を受け入れたのだろう。それはティナにとっても同じだろう。一度は忌み嫌い、そして受け入れたものを失うことは、彼女たちに何をもたらすのだろう。
「全然、何も」
セリスは首を横に振る。
「魔法の力がなくなったぶん、軽くなるかと思ったらそうじゃなくて、かといって重くなるのでもなくて。全然変わらない」
セリスは続ける。
「でも、不思議」
ひときわ強い風が通る。
「なんにも変わらないのに、でも、生まれ変わった気分。もう何度目かな」
セリスは髪を束ね直しながら、はにかむように微笑した。
ああ、可愛いなと思う。素直にそう感じる自分を許せることも、俺にはひどく嬉しかった。
「そうだな」
甲板から見下ろすと、眼下の景色はいつの間にか海から大地に変わっていた。
「道があるところ、どこでも行けるよ」
視線をセリスに戻す。真っ直ぐに俺を見ている。
「一緒に来るだろ?」
セリスは微笑む。
その背後には、彼女の瞳と同じ色の空が広がる。
世界は、元に戻った訳じゃない。新しい世界が始まったわけでもない。
ただ、世界というものがここにある。世界に、この人が存在している。
俺はその唇を攫った。
驚いて手を緩めた彼女の髪が風に舞う。
髪の一本一本が、生きているように風と戯れ宙を泳ぎ、光を受けて細く輝く。